まだだいじょうぶ

 

「ただいまっ」

 ピシャン、と派手に叩きつけられるように閉められた扉の音にイタチは眉をひそめた。続いて聞こえるのは妙に不揃いで大きな足音。間違いなくそれは弟サスケのものであったが、平常心を失い酷く苛立っているものだということが伺えた。今日はアカデミー卒業生の説明会があったはずで、下忍と認められてからの初めての朝はそれはもう、張り切って出て行ったというのに。

 サスケが真っ先に向かったのは洗面台だ。両親に良く躾けられたサスケは帰宅してからの手洗いとうがいを欠かさない。居間から耳を澄ましているといつもよりやたら長々と水の音が聞こえる。そうしてようやく蛇口が捻られて水が止まったと思うと、またバタバタと大きな音を立ててサスケは二階に登っていった。居間に顔も出さず部屋に直行するなんて珍しい。

「あら、サスケどうしたのかしら」

 同じくサスケの異変に気づいたミコトが首を傾げる。

「オレが様子見てくるよ」

 素早く立ち上がったイタチに、ミコトは申し訳無さそうに笑う。

「久々の休みなのに」

「だからこそ、だ」

 暗部の任務は容赦なく舞い込んでくる。休息がとれるのなら、尚更愛しい弟と一緒にいたいと思うのはイタチにとっては当然のことであったし、むしろ今回なんていい口実ができたとさえ言える。

 サスケは慎ましく育った。イタチの任務が隙間なく入っていることを知っていて、出来る限り兄に頼らずに行きていけるように努力している。時折甘えてくることもあるが、それだって、イタチにうまくかわされることを知っていて引き止めない程度に振る舞うのだ。本当はもっとイタチに構ってほしいと思っていることなど、表情や態度から十分すぎるほど滲み出ているというのに。

 ゆっくりと階段を上がると、サスケの部屋の扉はほんのすこしだけ開いていた。そっと手をかけて、音を立てずに開ける。サスケは外から帰ってきた格好のまま、ベッドの上で、枕を抱えてうつ伏せになっていた。顔を擦りつけている様はまるで泣いているようにも見える。しかし鼻をすするような音は聞こえない。

 当たり前のように部屋の中に入ると、イタチはサスケのベッドの上に腰を掛けた。スプリングが跳ねるのに、サスケが気づかないわけがない。

「サスケ」

 名前を呼ぶ。枕に埋もれたサスケがちらりとこちらを見る。……泣いてはいないが今にも泣きそうなほど顔が歪んでいた。

「どうした?」

「……何でもねーよ」

 額当てさえつけたままで、またフイと枕に顔をうずめてしまったので、イタチはツンツンと跳ねた後ろ髪の中から布を引っ張った。シュっと衣擦れの音をさせて、結び目が解ける。スルリと抜いてやってから真新しい金属をコツと拳骨で叩いた。

「班分けで嫌なことでもあったのか? お前ももう一人前の忍者になったんだ。この先、どんなにイヤなやつと……」

「そんなんじゃねーよ!」

 勢い良く起き上がったサスケは今度は怒ったように眉を吊り上げている。イタチの挑発は見事に成功したのだ。ころころと手のひらの中で踊ってくれる弟にイタチは素知らぬふりをしてあくまで穏やかに笑う。そうすればサスケは勝手に自白していくのだ。

「アイツが! あのバカが……っ、ちくしょう、思い出したらまた腹が立ってきた」

 サスケはごしごしと執拗に唇を擦った。何度もそうしたのだろう、薄い皮の下がやたらと赤くなっている。

「誰が、お前に、何を?」

「……ああもう、最悪だ。オレ、キスなんて、したの初めてだったっていうのに」

「………」

 弟の口から飛び出した言葉に、イタチは時が止まったような錯覚に陥った。

「ナルトが」

 ミナトさんの家の息子で、弟の幼なじみのうずまきナルトが。

「なんだか知らねーけど、ガンつけてくるから、睨み返してやってたら……クソッ」

 忌々しく舌打ちしながらサスケは何度も何度も唇を拭う。

 うちはイタチの洞察眼は常人の比ではない。暗部でも一族内でもその優れた瞳力以上に洞察力と状況把握能力を評価され重用されている。

「なんで初めてがアイツなんだよっ」

 至極悔しそうに、僅かに芽生え始めた男のプライドを出鼻からくじかれたようにサスケは呻く。つまり、サスケの唇が奪われたということなのだ。他の男に。サスケの不本意のまま。

 ぷちん、と何かが切れた音がした。

 未だ唇を気にしてやまないサスケの手首をイタチは掴み、引き剥がした。何度も擦れた唇はかわきはじめている。サスケの唇はいつもはもっとやわらかそうなピンク色をしているのに赤みが増して痛々しい。生まれたときからずっと見つめていたイタチには些細な変化も手に取るように分かる。

「サスケ」

 近づいてきたイタチの顔に、サスケがビクンと一度身体を震わせる。何をされるか分からない恐怖に目を見開いている。怯えたようなそんな表情も愛おしくてたまらないというのに、何故簡単に他人に唇を奪われたというのか。イタチはサスケに向けてなのか自分に向けてなのか、矛先の向け先の分からない怒りさえ最早抱いていた。サスケのファーストキスがそんなことで奪われるというなら、いっそ最初から自分が奪っておけばよかったのだ。両親以上の愛情を以って接してきた弟への独占欲がイタチの場合非常に強かったのだ。

 だから上書きするように、イタチは自分の唇でサスケの唇を食んでいた。ぱくりと、まずは未だ小さなこどもの上唇を挟んで。

「?!」

 困惑するサスケだが、抱え込んだ身体の反応からして拒絶しているわけではないと分かる。まだ好きにしても大丈夫だ、サスケは嫌がっていない。そう判断すると今度は顔の角度を変えて両唇同士を重ねあわせる。軽く吸い付いてサスケの唇を味わう。小ぶりだがやわらかく、甘い。乾いていた見た目よりもずっと皮膚の具合も良さそうで安心する。手首を掴んでいた手をずらして、サスケの手のひらを指で撫でる。弟の手のひらは自分のものに比べて、いつでもなぜかしっとりとしていて、触れていて心地よくてたまらないのだ。弾力を楽しんでいれば腕の中のサスケがびくびくと震えた。まだ大丈夫。サスケが本気で兄を拒絶することはない。

「っ、んぁ!」

 確信さえ抱きながらイタチは唇の上に舌を這わせた。唾液をねっとりと塗りこむようにすれば、サスケは驚きに声を上げる。開いた口の中に舌を潜り込ませるタイミングをイタチが見誤ることはない。グイと頭を抱え込んで、サスケの歯を舌でなぞる。つい最近まで歯磨きをしてやっていた歯列をなぞれば綺麗に生えそろっているのが粘膜を通じて分かる。どうすればいいのか分からないでいるサスケの初々しい舌を撫でてやれば、逃げるように引っ込められた。サスケの右手がきゅっとイタチの服の布を掴んでいる。

 まだ大丈夫。

 イタチはサスケの舌を追いかけ、あっという間に絡めとった。舌で舌をつついて、舐めて、唾液を注ぎ込む。呼吸が器用にできないサスケはふるふると震えだす。その振動さえ楽しみながら、イタチは愛らしい弟の唇も口の中も、舌も歯も、内側も外側も、存分に堪能し自らの唾液で染め上げていく。

 さてもうそろそろ手加減をしてやらないと、サスケが窒息してしまう。その頃合いになってようやくイタチは口を離した。ぷは、とサスケが子供っぽく大きく息をする。口の端からだらだらと唾液をこぼして濡れていて、まるで赤ん坊の頃に戻ったようだとイタチはサスケが余計に愛らしくなった。だからまた、唇をちゅっと音を立てて食む。もう一度、もう一度。繰り返してももうサスケはぼうっとして、小さく「あ」だとか「ん」だとか声を上げながらイタチを受け入れるだけだ。

 至近距離で黒い瞳を見つめながら、イタチは微笑んだ。

「気分はどうだ?」

 するとサスケは真っ赤になって、先程までイタチにしがみついていた手で申し訳程度に身体を離すような仕草をした。イタチは拍子抜ける。まだ、どころかこれならもっと好きなようにしても大丈夫ではないか、と。

「悪くなかった、だろ?」

「……なんか、ヘンだ」

 おずおずと答えるサスケはいつの間にかすっかり素直になっていた。ぽっぽっと湯が湧くように、頭の芯のほうが熱くなっているという。

「兄さんの唇……なんだか、わかんねえけど、全然、アイツと違う、なんか……ぞくぞくして、身体、熱い」

「唇、拭わなくていいのか」

 意地悪くきいてやるとサスケは拗ねたように頬をふくらませた。赤い舌が、ちろりと覗いてサスケの唇を舐めていく。その唇も、舌も、イタチが存分に堪能し、唾液が染み込んでいる。他人に触れられただけのそれとは大違いだろう。そう考えるとイタチも背筋が粟立つような気分だった。サスケの唇を最初に奪えなかったことは未だに後悔してもしきれないが、ここまでやってしまったのだからもう、自制することも不要だろう。

「サスケ」

 再びサスケの頭を引き寄せ、至近距離で見つめる。目をそらそうとするサスケを眼力で縛り付ける。怯えたサスケはしかし逃げないままイタチの腕の中にすっぽりと収まっている。

 まだ大丈夫。サスケはオレを嫌がらない。

 そうしてイタチは唇をふっと持ち上げると、そのまま再び、サスケの唇に重ねた。何度も何度もキスをしてやった。

 

2015.04.26

兄弟特有の遠慮なしかつ横暴な感じ。熱烈な弟愛が炸裂っていう言い回しをしてくる公式こわい

Text by hitotonoya.2015
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