最低な男達

 

 2月14日。その日はうちはイタチにとって特別な日であると、弟サスケは認識していた。毎年彼はその日早起きをしていつも以上に身嗜みを整える。彼なりの勝負服なのだろう。白いシャツにワインレッドのカーディガンを羽織って、壁にかけられたコートも普段彼が大学に着ていくものよりもイイモノだ。性格も能力もずば抜けて良く、少々老け顔なことをのぞけば容姿も素晴らしいイタチはそれはとてもモテる。むしろ多少老け顔であるという点さえ、大人っぽく見えるということで、今までずっとプラス要素に働いてきた。いつもと変わらない高校の制服のネクタイを結びながらサスケは、長い髪を梳いている兄を横目で見、ため息を吐かずにはいられなかった。

「サスケ」

 そのため息が聞こえたのか、イタチが振り返ってこちらを見てくる。すっと細められた目が何かを語ろうとしている。

「……分かってるよ」

 優しく、時に自己犠牲的ですらあるイタチの性格は周りからも評判であったが、弟であるサスケはイタチの本質がそれだけでないことを知っていた。確かに兄は優しいし、他人のために無茶ができてしまう人間だ。完璧と言っていい。周りの老若男女すべてがイタチを放っておけないほどに。だが彼は、ときたま、ものすごく、強引で偏屈であったのだ。そのことをサスケが一年で最も痛感させられる日こそが、この2月14日。バレンタインデーなのである。

 

 

 放課のチャイムが鳴る。サクラはすぐにマフラーとコートを羽織ると一目散に教室を飛び出して、校門を抜けるべく急いだ。昇降口で上履きから靴に履き替える時間さえもどかしかった。

「サークーラーちゃん!」

 げっ、とサクラは心の中でうめく。ひょっこりと覗き込んできたのは幼馴染のクラスメイト、うずまきナルトであった。満面の笑顔でこちらを見ている。何かをねだるような視線に、サクラはため息を吐くとようやく履き終えた靴で歩き出した。ナルトももちろんついてくるが、追い払ったりはしない。しても無駄だと分かっているし、サクラの行先はバレている。毎年ずっと同じだ。

「なあなあ、あいつってば、甘いもの苦手じゃん? だからさー」

「そんなこととっくの昔から分かってる。だからはい、アンタの分はちゃんと別に用意してあるから」

 歩きながら、サクラが鞄から綺麗にラッピングされた箱を取り出してナルトの頭を叩く。「イテッ」と悲鳴を上げながらもナルトは笑顔で箱を受け取った。バレンタインチョコレートだ。

「やったー! サクラちゃんからのチョコ……!」

「そんな泣くほど嬉しそうな顔しないでくれる?! アンタ他にもチョコもらったでしょ?!」

「へへへっ」

 得意げに鼻を擦るナルトは、リュックに入っている本日の収穫を得意げに見せてくれた。こう見えてもナルトは結構モテる。小学生のころはいじめられていて、一個もチョコレートがもらえなかった年もあったのだと、サクラが初めてナルトにチョコをあげたときは本当にうれし泣きされたほどだ。

「でもサクラちゃんに貰わないと、今日が今日って気がしないっていうか」

「そういうのは本命チョコ貰ったときに貰った相手にいいなさい」

 サクラがナルトに送るチョコはいつも義理だ。幼馴染として、友達として、ナルトのことは好きだし大切であるけれど、サクラが恋愛の情を送る相手は幼いころから別にいる。

 私立の中高一貫校に入ってしまった、もう一人の幼馴染。今から彼に会いに行くのだ。

「今年はサスケより俺のがチョコ貰ってるかもなあ」

「サスケくん甘いもの苦手だから、いつも貰っても断ってるだけじゃない? たぶん全部貰ってたらアンタなんかと比較にならない数よ」

「もったいねえヤツー!」

「しょうがないんじゃない? ナルトだって、もしバレンタインが好きな相手に野菜をプレゼントする日だったらどうするのよ」

「うっ……それは……あんま嬉しくないってばよ……」

「そういうことでしょ、サスケくんにとっては」

 いつもの帰路とは逆方向に歩き続けると、木ノ葉高校とは違う制服の学生が見られるようになってくる。道路沿いにある、小さな公園のベンチに座ってサスケを待つことにする。サクラの隣にはナルトも座る。チョコの数を張り合うんだと言いつつ、彼はただ単にサスケに会いたいだけなのである。小学校の時から本当に仲が良かったから、本当は一緒の中学や高校に通いたくてたまらなかったのだ。

 

「香燐、もう諦めなよ」

「うっせぇ水月テメェはそれ啜って黙ってろ!!」

 帰り道にあるコーヒーショップで買ったチョコレートドリンク(かろうじて香燐におごってもらえた義理チョコがわりだ)をストローで啜りながら、水月はため息を吐いた。決して貰ったチョコの個数に不満があるわけではない。水月は自分の顔はカワイイタイプだと自覚しているし、それを好む女子から結構な数のチョコレートを貰えた。しかしすぐ傍を歩いている男の抱える大きな紙袋を見ると、何もかもが馬鹿らしくなってくる。

「なあーサスケー、チョコ、思いっきりビターにしたからな? いいだろちょっとくらい?」

「……お前のそれはもはやチョコじゃないだろう……」

 サスケは見向きもしない。そりゃそうだろう、と水月は思う。香燐の思惑は過激すぎる。まさか彼女がおもむろに自分の腕に溶かしたチョコレートをかけて、「ウチを噛め!」とサスケに言い出したときは何事かと思った。思わず普段の野次馬欲求とは離れたところで、重吾と協力してサスケと香燐の距離を離したくらいだ。

「せ、せっかくおまっ、テメェのためにいろいろ特別に調合した特製のチョコ作ってきたのに……」

「ふつうにそれを型に流せばよかったんじゃないのか?」

 重吾が至極真面目な顔で常識的なことを言う。香燐の高い声がまた響く。

「ばっか! それじゃ意味ねぇんだよ!!」

 毎年サスケが甘いもの苦手だと言っているのに、香燐はどうしてもチョコレート……というか自分自身をチョコレートでコーティングしてサスケに噛んでもらうことを諦めない。おかしな性癖を持つと大変だな、と水月は呆れる。

 しかし今年は本当に、重吾の言う通りにすればよかったのではないかとチョコレートの山を抱えるサスケを見て思う。毎年ほとんどのチョコレートを断ってしまうサスケにしては珍しく、渡されたすべてを受け取り持ち帰るのだ。一体どういう心境の変化があったというのだろうか?

「あっ、サスケェ!」

「サスケくん!」

 そんなことを考えていれば、またサスケ目当ての人物の声が聞こえる。サスケはモテる。性格には間違いなく難しかないが、とにかく見た目がいい。運動神経もいい。頭もそこそこ。そのうえ老若男女問わずだ。今日だって部活は休みの日だったのに、顧問の大蛇丸先生からもカブト先生からもサスケはチョコをもらっていた。水月たちが貰ったものとは質の違うものをだ。だから、別の学校に通う学生からも、チョコレートを毎年貰っている。

「サクラか……それに、ナルト」

 このサクラという女の子と、ナルトという男はサスケの小学校時代の友達で、毎年バレンタインデーはこうして学校の帰り道を狙って渡してくる。サスケも彼女らには特別な思い入れがあるのだろう、毎年彼女から贈られるものは受け取っている。

「サスケ、なんだってばよそのチョコの量!!」

「……今年は断らなかったらこうなっただけだ」

 なんでもない風に言うサスケに、ナルトはがっくりと肩を落とした。

「量より質のほうが大切だと思うけどねぇ、ボクは」

「サスケくん、チョコレート食べられるようになったの?」

 サクラが不安そうに首を傾げる。彼女はいつもチョコレート以外のものをサスケに渡しているのだろう。手にしている紙袋も、よく見るチョコレートメーカーのものとは雰囲気が違う。

「いや、そういうわけじゃねえんだが……せっかく用意してくれたものを断るのは失礼だって怒られて……」

 気まずそうに、少々言葉を詰まらせながらサスケは目を逸らす。

「そりゃそうだよ。サスケもようやく女心ってのが分かるようになったんだね」

 香燐を煽るように水月は言うと、彼女は眼鏡を曇らせるほど鼻息を荒くした。

「うっ、ウチのチョコはー?!」

「キミのはなんか……違うでしょ」

「普通のチョコを用意すればよかったんだ」

 ナルトと同じようにがっくりと香燐は肩を落とす。

「今年もチョコじゃないけど……はい、サスケくん。おいしいって評判のところだから、食べてくれるとうれしいな」

 小さな紙袋をサクラから渡されて、サスケはしっかりとそれを受け取った。

「……ありがとう」

 小さくつぶやかれた声はサクラにしか聞こえなかったかもしれない。寒さのせいだけでなく頬を染めたサクラは、それだけで十分というような満ちたりた表情をしていた。サスケもまた、他からもらったものは適当に紙袋に放り込んでいたのに、彼女から貰ったものだけは大事に自分の手で持ったままだ。

 

 

 

「ただいま」

 玄関を開けるとすぐに居間から甘い香りが漂ってきて、サスケは眉をひそめた。

「ああ、おかえりサスケ」

 居間でくつろいでたのはイタチだ。傍らにはサスケが貰ってきた量以上のチョコレートが入った紙袋が2つほど詰まれている。ちゃぶ台には既に開封されたチョコレートの箱が3つ目。マグカップに入っているのはこれもまた今日貰ってきたのだろう、ホットチョコレートが注がれている。サスケはピクピクとこめかみを引きつらせながら、イタチのぶんの紙袋の横に自分の紙袋も置く。これらを全て平らげるのは、イタチ一人だ。

 イタチは甘味に目がない。だからバレンタインデーは、全国津々浦々のチョコレートが味わえるイベントとして、イタチにとって重要な日なのだ。気合を入れてチョコレートを集め、食べる。それだけでなく自分でも買うし、スイーツ店のバレンタイン限定メニューめぐりまでする。今日も同じサークルの鬼鮫と一緒にタルト店に開店と同時に行ってきたらしい。

 サスケが毎年チョコレートをたくさん渡されるが断っているということを知って、「失礼だ」と怒ったのはイタチである。なんのことはない、自分で弟が貰ったチョコレートを食べるためなのだが、イタチの甘味にかける情熱は尋常ではなく、目の色を変えて説教をはじめたイタチにサスケはすっかり根負けしてしまった。それが今年サスケがすべてのチョコレートを受け取った事件の真相である。

「お前、結構モテるんだな」

 紙袋を見とめたイタチが言う。彼が言うとイヤミにさえ思えてしまうが、サスケは素直に受け取っておくことにする。イタチに似ていると評判の顔なのだ。モテないほうがおかしいだろう、とサスケはイタチが貰ってきたチョコレートの数を見て思う。

「全部食べていいぜ」

「お前も少しは食べないのか? ああそうだ、明日この店に行きたいんだが……鬼鮫の都合がつかなくてな。一緒に行かないか」

 差し出された雑誌のページはケーキ店の特集ページだ。サスケはむっと頬を膨らませた。

「行かねぇよ! 俺が甘いもん苦手になったの、兄さんがやたらと食べ過ぎて俺にも食べさせてきたせいなんだぞ?!」

「そうか……」

 シュンと肩を落とし長い睫毛を伏せるイタチがおもむろにホットチョコレートを口に含む。甘い香りに余計に腹が立つ。

「まあ、ホワイトデーのおかえしはちゃんと俺が用意してやる。来年もしっかり貰ってくるんだぞ、サスケ」

「アンタはこの日を何だと思ってるんだ!!」

 甘ったるい空間に耐えられなくなって、サスケはさっさと自分の部屋に籠ることにした。

 鞄をベッドの上に放り投げて、コートを脱ごうとして、サスケは手に何かを持ったままだったということを思い出した。小さな紙袋はサクラから貰ったものだった。封を開けてみると、かわいらしい巾着に包まれていたのは煎餅だった。甘いものを避けて毎年選んでくれるサクラの心遣いが感じられる。ハートの形に焼かれた煎餅。包装をあけて、さっそく齧ってみる。恋しかった塩の味が舌の上に広がる。

「……サラダ味か」

 添えられるように一緒に包装されていたのは、1回分の昆布茶だ。桜の花の塩漬けが入っている。彼女なりの自己主張だろう。ちょうど小腹も空いたことだし、お茶を入れて、煎餅を平らげてしまおう。サスケは表情を柔らかくすると、甘い香りが支配する一階に昆布茶を淹れに戻る。その後に待っている優しい塩味を考えれば、なんだって耐えられるのだ。

 

2015.02.14

イタチが一番書きたかったんです…。

Text by hitotonoya.2015
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