ザ・ストリングス

 

 人に絡みつく運命の糸。それをWは目に見る事ができた。

 常に見えているわけではないし、生まれつき見えていたわけでもない。あの日、デュエルモンスターズ全国大会の決勝戦の日。路地裏で行われた何の罪もない少女とのデュエルで、自ら発動した魔法カードから放たれた炎を浴びてから、Wは十字の傷を負った右目でそれが見えるようになった。

 時折だけ、ほんの一瞬。風が吹くように人に絡んだ糸が見える。

 太さや色はその時によって違う。瞬きをした次の瞬間にはもう糸は見えなくなっている。幻のようで、しかしそれは間違いなく運命の糸であるのだと、Wは何故か確信を抱いていた。

 家族を奪われた復讐のさなかにいる間は、己の身体に絡みついた糸が煩わしくて仕方なかった。一本、また一本と増えていく糸。ふと見ればXにもVにも同じ糸が絡まっていて、その糸の先を辿るとトロンの指先に繋がっていた。時折煩わしげに何もない空間に手を払うWを、兄弟は不思議そうに首を傾げてみていたことを覚えている。その度に恥ずかしくなるわ、飛蚊症じゃないかと真面目に心配されるわで散々だった。

 そんなWのエースカードは皮肉にも糸を操り、また操られる人形であった。運命をその名に冠するデステニー・レオ。糸を象徴するヘブンズ・ストリングス。だがそのどちらも武器として手に持っているのは「断ち切る」剣であった。白紙のカードとしてトロンからWの手に渡され具現化したナンバーズ。トロンという運命の糸の操り手に操られる人形であることを受け入れながらも、しかしそれを断ち切りたい願望が反映されたのだろうか。運命の糸を断ち切る力がWにあることを示しているのだろうか。家族を取り戻した今ではWは後者だということを信じたかった。

 遊馬が、凌牙が、カイトが。Wたち兄弟の代わりに断ち切った復讐という運命の糸。操り手であったトロンの身体にもまた、それが細く絡みついているのをWは知っていた。それすら彼らは断ち切ってみせた。ならば今度は自分ら兄弟が、遊馬たちに絡まる過酷な運命を切り裂く役割が果たせれば良いと願った。

 凌牙に絡む糸も、Wは何度か目にしたことがあった。最初は全国大会の決勝戦後。Wの指先に絡まっていた糸がふわりと伸びて、項垂れる凌牙の細い首に巻き付いた。それはWが絡ませたものだがトロンの糸だ。ああこいつも、かわいそうに。なんてぼんやりと思った記憶がある。WDCで再び対峙する頃には凌牙の節々に糸は絡みついていて、Wの糸がはらりと解かれるのと同時にその先は傍で見ていたトロンが巻き取っていったのだった。それでも全ての闘いが終わった時には、凌牙からも、Wたち家族からも、絡みついたトロンの糸がきれいに解かれたのが見えたはずだった。

 

 

 だというのに、今、目の前に立っている凌牙はどうだ。一本一本は視認できないほど細い透明な糸が、おびただしい数、束になって身体中に絡みついている。ぎちぎちに縛られて、身動きができなくなって、その糸に操られるままに闘っているのだとWは考えた。だからWも必死になって、彼を解放しようと闘ったのだ。

 透明な糸は世界を滅ぼす赤い光を受けてようやくWの目に映る。それらが紡いだ鎧が拘束具のように、きっと凌牙をナッシュとして、バリアンの姿をとらせているのだと信じて疑わなかった。

 Wの知らないところで、いつの間にかだ。つい先日、凌牙とタッグデュエルをしたときにはそんなものちっとも見えなかったはずなのに。

「いいや、あの時からずっと……否、俺が神代凌牙になってからずっと、この糸は俺に絡まっていたんだ」

 赤い光の中で凌牙は淡々と語る。水を掬うように両手で糸を持ち上げてみせながら。キラキラと輝く糸は滝のように光を反射していた。凌牙の青い眼が無表情にそれを見下ろす。その目をWは見たことがあった。決闘に負けたWを、悲壮な決意を以って見送った顔。Wは凌牙に敗北し、魂はバリアン世界と人間世界を繋ぐ人柱に組み込まれた。

「凌牙……!」

 思わず駆け寄り、Wは凌牙に絡まる糸を払った。ぶちぶちと千切れる音がするのに、その糸は凌牙の身体から離れない。気づけばWの手の中には大きな鋏があった。剣のようなそれでWは凌牙の糸を切っていく。先ほどまでのデュエルと同じだ。交差点で相対した瞬間に見えた凌牙の運命の糸。バリアン世界が彼を捉える鎖を断ち切ろうと、何度も焼き尽くし、または剣で切り裂いたはずだった。なのに凌牙は何度でも立ち上がる。ダメージを与えても与えても決して戦意を失わず立ち向かってくる。糸が紡いだ鎧の姿から、元の凌牙の姿に戻せても、すぐにまた糸は鎧を編み込んでしまう。

「くそっ、しぶとすぎだぜ、この糸っ……! 待ってろ凌牙、今、俺が全部切ってやるっ」

 鋏を振りかざす。ざっくりと透明な糸が切れて落ちる。解放され、だらりと下がった凌牙の腕に、やはり糸は絡みついていく。何度繰り返しても、糸はちっとも減らない。

 泣きたくなるほどの時間だった。赤い瞳に涙をためこみながらWは鋏を振るい続ける。ざくり、音を立てて胴を縛っていた糸を切り裂く。薄い胸に現れたのは、バリアンの紋章のペンダント。鈍く光るそれは金色の鎖で凌牙の首から下げられている。中央の宝玉が赤く光るのに呼応するように、Wの左目がずきりと傷んだ。視界が一瞬ぼやけ、凌牙に絡みつく糸が鮮明になる。枷のように凌牙の首にはめられている鎖は糸で編み込まれたものだった。そこからまた糸が伸びて、凌牙の指先に伸びている。凌牙の幼い指先までもにおびただしい数の糸が絡みついているのを見て、Wは唇を噛みしめる。が、瞬きをもう一度した後、何かが違うことに気がついた。何本、何千本、何万本もの糸は指先に纏わりついている。だが、絡んでいるというよりも、むしろ……。

「無駄だ、W」

 凌牙の声はひどく落ち着いている。十四の子どもからはかけ離れた、まるで何千年もの時を生きたような老獪ささえ感じさせる声。無表情だった口元は、ゆっくりと持ち上げられて微かに笑みを形作っている。穏やかな表情であった。

「なんで……」

「この糸がどこに繋がっているか分かるか?」

 首に巻き付いた枷の糸を持ち上げて見せて、凌牙は笑う。その先なんて聞きたくなかった。けれどWは鋏を握りしめる手に力を込めた。もはや意地だったのかもしれない。

 凌牙が持ち上げた糸は細く長くぐるぐると道を描いていた。その先を手繰り寄せていく。するり、するり、絹の擦れるような小気味よささえ感じさせる音を立てて、巻き取った糸の行き先は。

 己の目にしたものが幻でなかったことに、Wは愕然とする。

 凌牙の身体中に巻き付いていた運命の糸。それは間違いなく、凌牙の指先から伸びていた。

 凌牙は自分で自分の運命を紡いでいた。

「お前……っ」

「これが俺の運命。……誰のものでもない、俺自身の運命」

 青い瞳で凌牙はWを見上げる。それは勝者の笑みではなく、むしろ懇願してくるようなものであった。

 どうか俺の運命を切らないでくれ、と。懸命に紡いだ糸を、編みこんだ絆を断ち切らないでくれと。

 雁字搦めになった凌牙を前に、Wはそれでも鋏を手放しはしなかった。Wは信じたかったのだ。自分にある力を。そのことを教えてくれたのは、遊馬に、カイトに、そして他でもない、凌牙だから。

「それが本当にお前自身のものでも、お前が間違った道を選びそうになったとしたら……俺がお前の糸を切る。地獄からでもな」

「大丈夫だ。……俺はもう、間違えない」

 ありがとう。W。

 凌牙が最後にそう唇を動かしたように見えたのは気のせいだろうか。

 そして凌牙の紡いだ糸は赤い光を反射して、再び鎧を紡ぐ。踵を返し赤いマントが翻るのを最後に、Wの意識はそこで途切れた。

 

2014.06.21

アトロポスの鋏ってタイトルにしようか迷いました。糸を切られるのは殺されるのも同じ的な感じです。

Text by hitotonoya.2014
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