『将来の夢』 一年○組 九十九遊馬

 

 青空に手が届きそうなテラスに今日も彼はいた。終業のチャイムももう随分前に鳴り終えているというのに手摺に背中を預けて座っている一学年上の先輩――神代凌牙は両の瞼を閉じたままその場から動こうとしない。近寄れば聞こえる微かな寝息、呼吸にあわせて上下する胸。眠っているのだ。普段遊馬の前で無防備な姿を晒すことのない凌牙のそんな姿に悪戯心が刺激される。遊馬は凌牙の身体の上に覆いかぶさると、彼の顔に思い切り顔を近づけた。両手で凌牙の頬を挟んでこねくり回す。大人びて見えるようで遊馬より一つしか年齢を重ねていない彼の肌は想像よりずっと少年らしく柔らかい。

「しゃ〜くっ」

 あだ名を最初は囁くように呼ぶ。眉間がぴくりと動いて睫毛が震える。

「ん……」

 微かに開いた唇の隙間から小さな声が漏れる。このままずっと観察していたい気もするが、そこまで遊馬は気長な性質ではない。

「シャークっ!」

 大きな声で呼んで、ぴしゃりと頬を叩く。鼓膜と頬からの刺激に跳ねるように目を覚ました凌牙の視界いっぱいに広がるのは至近距離にある遊馬の顔に違いない。鳩が豆鉄砲を食らったようなおかしな顔を一瞬だけ凌牙は見せたがすぐにため息を吐いて呆れたような表情を浮かべて見せた。平静を装っているのだろうが、寝起きの一瞬の表情を目に焼き付けた遊馬としては、かっこつけの彼の素の一面を覗くことが出来た優越感でにやにやと頬が緩んでしまうのをおさめることができなかった。

「……んだよ」

 そんな腑抜けた顔を見ながら不機嫌そうな低い声を出す凌牙に、遊馬は本来の目的を思い出す。殆ど生徒の立ち入ることのない半ば凌牙専用の領域になっているこのテラスに来たのは気まぐれでもなんでもない。凌牙に聞きたいことがあったからだ。だから彼の機嫌を損ねるようなことをしてはいけないのだと思い返して、慌てて身体を退かせる。

「あああ、ごめんシャーク、べつにお前に悪戯しにきたってわけじゃねえんだよ」

「まあ、お前がそんなことのためにわざわざここに来るやつじゃねえのは知ってるがな」

 フン、と鼻を鳴らしながらも凌牙は眉尻を下げる遊馬を見て笑った。きっとそれは凌牙が自分自身で思っている以上にやさしい表情をしているのだけれど、知らないのは本人だけなのだ。

「で、なんの用だよ」

「シャークの将来の夢って何?」

「は?」

 遊馬の投げかけた質問に、凌牙は再び間抜けな顔と素っ頓狂な声まで晒すハメになる。

「なんだよいきなり。お前は進路指導の先生か」

「まー、そんな感じかな?」

 苦笑しながら、遊馬はことの経緯を説明する。

 遊馬のクラスで今日出された宿題は将来の夢を400字詰め原稿用紙3枚にしたためることだった。

 将来の夢と言われても中学1年生の段階では漠然としたものしか思い描けない。そんなに長い作文をどう書いたらいいか思い浮かばず、悩んだ末きっと去年同じ課題に直面しただろう凌牙にアドバイスを貰おうとここまで来たのだと。

「……んなこといきなり言われてもな。すぐには思いつかねぇぜ」

 渋い顔をして凌牙が吐き捨てるのに、遊馬は意外そうに瞬きを繰り返した。

「え? じゃあお前今までそういう宿題出た時どうしてたんだよ。シャークのときは出なかったなんてことないだろ?」

 首を傾げれば、凌牙はばつがわるそうに後頭部を指で何度か掻く。

「……一年前までは、デュエルチャンピオン目指してた。だからそれが将来の夢だった」

 ぽつりと語られた内容に、遊馬は覚えがあった。凌牙は転校生であった。一年前は別の学校にいて、デュエルモンスターズの全国大会に出場してチャンピオンにあと一歩のところまでたどり着いていたのだ。だが少年の夢がどのようにして打ち砕かれたのか、遊馬は全てを知っていた。その後凌牙が失意の中、居場所を求めて夜の街を彷徨い歩いていたことも。

「だけどもう表舞台の栄誉に興味はない。WDCの前にも言ったろ? 結局あのときは、俺なりにデュエルに向き合うこともできねぇままだったから……デュエルはやってこうと思ってるぜ。でも、将来の夢にどうしていくかとかはわかんねぇ。今は新しい夢を探してる、ってとこだな」

 テラスの手摺を掴んで、空に乗り出すように凌牙は遠くを見て語る。その穏やかな青色の瞳は静かに波打つ海のようで、引き込まれるように遊馬は横顔を見つめてしまった。そんな遊馬の視線に気づくと凌牙は慌てて舌打ちをして、眉間に皺を寄せてみせる。

「……って、何恥ずかしいこと言わせんだよ!」

「恥ずかしくねぇじゃん! シャークらしくてかっけぇぜ。なあ、プロは目指さねぇの? 俺、お前のデュエルすごいかっけぇと思うし、向いてると思うけどなあ」

「そういうお前こそ、プロ目指さねぇのか? WDC優勝のデュエルチャンピオン」

 こつんと額を拳骨で小突かれる。軽い痛みも凌牙に与えられるものなら何故だか嬉しい。ましてや自分よりもデュエルの腕の優れる彼に力を認められるようなことを言われながらであれば尚更だ。同時に小恥ずかしくもあり、頬に熱が昇ってくるのを誤魔化すように鼻先を指で擦る。

「へへ……、うーん、それは、考え中なんだ。デュエルチャンピオンになるってずっと夢だったけど、WDCで一応かなっちまったわけだし。でも、チャンピオンになっても俺はカイトに勝ててないし、シャークにも勝ちを譲られたみたいなもんだしさ。実感湧かねぇんだよ。でも、もっとたくさん、もっといろんなやつとデュエルしたいって気持ちはある。デュエルでいろんな人ともっともっと分かり合っていきたい」

 自然と手に力が入り、握りこぶしを作っていた。そんな様子を見ながら、凌牙はふっと口角を持ち上げて、「お前らしいぜ」と笑った。

 デュエルをすれば相手の全てがわかる。初めに遊馬にそれを教えてくれたのはかけがえのない相棒であるアストラルだ。だがそれはもう遊馬の信条にもなっていた。アストラルと出会って、たくさんの人とデュエルして、WDCという大きな大会を、そこに渦巻いていた因縁や陰謀を乗り越えて。遊馬にはたくさんの仲間が出来た。いろんな人の気持ちや情熱をビリビリと肌が震えるほど感じることが出来た。もっとそんな経験を重ねたいと、そうして大人になっていきたいと遊馬は望んでいる。

「もちろんお前とも! もっとたくさんデュエルしたい。まだまだお前のこと、知らないことたくさんあるし。好きな本とか、趣味とか。あ、趣味はやっぱ魚? それともサボり?」

「勝手に妄想してんじゃねぇよ」

「いいだろべつに、それくらい。……それにお互い全力でデュエルして、そして今度こそ俺が勝ちたいし! だからそれまでもっともっとたくさんお前とデュエルしたい」

 ぐっと宣戦布告のように差し出した拳に、凌牙もこつんと拳をぶつけてくれた。一瞬だけ触れた皮膚と皮膚の間から、熱い火花が散ったような錯覚。

「しょうがねえな。付き合ってやるよ。俺はそう簡単には倒せねぇがな」

「へへっ。じゃあ俺たちの将来の夢は、二人で一緒に、たくさんデュエルすること! かな」

 作文に書く内容が決まったとばかりに伸びをする遊馬に、凌牙は呆れたようにポケットに手を突っ込んで歩き出す。

「将来の夢って言えんのかよ、それ」

「学年変わっても、高校生になっても、大人になっても俺、シャークとデュエルしたいもん」

 遊馬も凌牙に追いつくように、肩を並べて校舎につながるドアまで歩く。

 青い空に輝く手が届きそうな太陽が眩しくて、目を細めて光に呑まれる。

 

 

 ――そんないつかの思い出が、まるで走馬灯のように遊馬の脳裏に一瞬で駆け巡った。

 宇宙のような濃紺の空間。瞬く光。神殿のような幻想的な空間。迸る閃光。3つの世界の命運をかけた闘いで、アストラルとオーバーレイした遊馬が対峙するのは赤い世界を背負う皇。あの日見せた青い瞳は激情に波打ち、遊馬を優しく見つめた眼差しで刃のように射抜く。そこに存在するだけで、研ぎ澄まされた空気に肌が切り裂かれ血が出てしまいそうな真剣勝負。

 爆炎に飲み込まれる彼の冀望を背に、ナッシュは……シャークは、叫ぶ。心の底から、絞りだすように。

「どこまでも俺の……っ、俺たちの夢を打ち砕く気かぁぁあああ!! 遊ぅ馬ぁっ! アストラルぅうううううう!!」

 ナッシュの、文字通り望みを絶たれたような表情を見ていられず、目をそらしそうになるのを遊馬は必死に堪える。涙が溢れそうになるのを堪える。悲痛な、心からの叫びが耳を劈く。

 なあ、シャーク。『俺たちの夢』って、なんだっけ?

 

 

2014.05.02

ナッシュが叫んだ「俺たちの夢」についていろいろ悶々してるときに書いたものです。ナッシュが悪いとか遊馬が被害者とは私は決して思わないです。

Text by hitotonoya.2014
inserted by FC2 system