コツコツとヒールの音が鉱石で出来た床に響く。この赤い世界は科学が驚くほど発展しているはずなのに殆どのものが荒削りの水晶で出来ている。磨かれた鏡のように覗きこむものを映す水晶の扉。そこに刻まれた姿かたちを間違いなく「私」だと認識できるほど、私はこの姿に慣れ親しんでいた。どうして今まで忘れていたのか分からないほど、私の姿は私だった。人間世界で言う肌色をしていない手を伸ばし、赤い水晶の扉をノックする。
「入ってもいいかしら」
「……メラグか」
入れ、と短くその部屋の主は私に許可をする。聞き慣れた声が呼ぶのも私の名前。人間世界で換算すれば十年ぶりほどなのだろうか、彼がその名で私を呼ぶのは。重い扉を開けばそこには兄の姿があった。この部屋の主。いいえ、この部屋どころか、彼はこの世界の皇。
ナッシュ。それが私の兄の名前。バリアンを統べる皇の名だ。
「私たち、本当にバリアンだったのね」
くすくすと冗談でも言うような声で喋りかけながら寝台に座るナッシュの隣に腰掛けて、彼の頬に触れる。鼻と口のない、平坦な仮面のような顔。左右で違う色の瞳は静かに私を見つめている。その目のはめこまれているのは紫色の皮膚の中。たしかこの世界でも兄妹だったはずだけれども外見はちっとも似ていない。
するりするりと私は手のひらを滑らせていく。首に、胸に、腰に。その身体の形を確かめるように。ナッシュは身動ぎ一つせず、私の手が滑りゆくのをずっと見下ろしていた。
「ぜんぜん違う、人間と。凌牙と璃緒と。顔も手も、身体も、どこもかしこも。脱げないのよ、これ。これが私そのものなの」
当たり前のことを口にする。服や鎧、装飾品を纏っているように見えてそれら全ては私たちの身体に一体化しているのだ。未だ完全ではないもののバリアンとして生きていた記憶を取り戻した今となっては不思議なことなど何一つないはずなのに、人間として生きてきた常識がかつて持っていたはずの、本来の常識的な思考の邪魔をする。
「そうだな」
全てを受け入れているとばかりにナッシュが至極落ち着いた声で頷く。彼も同じだ。肩当ても、額に輝く冠も。寝台の上に広がる赤いマントも全てナッシュ自身でできている。
「人間界でミザエルが初めてバリアルフォーゼを見せたとき、一緒にあんなに驚いてたのにね」
スフィアフィールドの赤い光の中、突然に全身が黄色に輝く異形の姿になったミザエルのことを思い出す。あまりに人間離れした外見に、未知への畏怖さえ抱いたはずだった。
「はっ……そんなこともあったな。今考えると、何驚いてんだって感じだがな」
「ふふ、そうね。あっちの方が私達にとっては当たり前だったのに。物忘れってほんとうに怖い」
今はもう、口のない顔でも表情の変化が手に取るように分かる。こうして他愛のないことで兄と笑いあうときは、戦いや使命とは無縁の場所で、平和に過ごしていた日々を思い出させた。
ナッシュの身体を確かめていた手を腰から下、股間にうつす。装飾めいたパーツのないそこはつるつるとして起伏がなく、触れているとなんとなく気持ちが良い。ついついしつこく繰り返し撫でてしまう。
「……おい」
「なぁに?」
「……どこ触ってるんだ」
ナッシュに手首を掴まれて、指先をそこから離れさせられてしまう。残念がるように見上げれば、ナッシュは恥ずかしそうに二色の瞳で私を睨んでいて、たまらず可笑しくなって笑い声を出してしまった。
「どこって、ナッシュの身体よ」
「わざわざそんなところ触らなくてもいいだろ」
「そんなところ? 何もないじゃない、ここ。あなたの頬や手を触るのと、どこが違うのかしら?」
意地悪な問いかけにナッシュは唸って黙りこんでしまう。恥ずかしそうに顔を背ける理由は、本当は全部知っている。こんな羞恥を兄が感じているのは、つい先日まで私達が人間だったからに他ならない。
「私達に生殖の必要なんて無いんだから。人間とは違って。……私はそれほど違和感ないけど、やっぱりナッシュは違和感あるの?」
問いかけは純粋な興味からだ。
「そりゃ……今までついてなきゃおかしいって思ってたもんがないんだぜ。ヘンな気分になるのも仕方ないだろ。……って何を言わせるんだお前は!」
恥ずかしそうにしかし本心からの困惑も滲ませたナッシュに、ふと面白いことを思いついた。わざとらしく、何かを思いついたジェスチャーのように手を叩いてから、首を傾げるナッシュを背を向けて少々。ちょっと力を籠めるように目を閉じて、一呼吸後に瞼を開けたその先に、想像した通りの結果を得られた満足感を顔に出しながら振り返る。
「ほら、どう? ナッシュ」
ぺらりとロングスカートのような皮膚をめくりながら、先ほど股間に生やした、人間の男性の股間についているもの――ペニスをナッシュに見せた。一応女性である妹の身体に鎮座する男の象徴はあまりにも非日常的であり衝撃的だったのか、ナッシュは人間の身体ならば頬を真っ赤にしているだろう勢いで私の皮膚の裾を掴んで下ろしてきた。少し痛い。
「お前なんでそんなもんっ! どっ、どこで見て覚えたんだよ!?」
「何回あなたと一緒にお風呂入ってたと思ってる?」
「勃ってるところは見せたことねぇだろ!」
「……そう思う?」
思わせぶりに言えばナッシュは深い溜息と共に肩を落としてしまった。
「バリアンの身体は高次のエネルギー体。やろうと思えば自由に肉体を変化させることも可能なはず。この発想も人間生活を経験したからならではかもしれないわね。私達にとって、肉体なんてそれほど重要なものではなかったから」
ナッシュの顔がどんどん曇っていく。瞼が落ちて睫毛が影をつくる。きっと彼は人間らしい思想に染まりきってしまっていることを悔い嘆いているのだろう。
完全なバリアンにならなければ。かつてこの世界を導いていたときのことを思い出さなければ。この世界に戻ってきてからナッシュはそのことばかりを考えているようだった。彼がそう願っているなら私も協力したかったけれど、無理をしすぎて今にも壊れてしまいそうなナッシュを隣で見ているのは辛い。
「ねぇ、ナッシュもやってみない?」
「なっ、なんでそんなとこ、わざわざ生やしてまでお前に見せなきゃいけねぇんだよ!」
「自分のが恥ずかしいなら、私のほう……女の子のほう、つけてみてよ。私だってこれ、自分についてたやつじゃないから正直あまり恥ずかしくないのよね。……ね? ほら。やってみて。折角こういうこと出来るんだから、私達なら」
「………」
最後の言葉が、バリアンであろうと、人でなかろうと思うナッシュを動かしたのだろう。小さく頷くとナッシュはぶっきらぼうに尋ねてくる。
「……どうやったんだよ」
「デュエルディスクを生やすみたいな感じで、こう」
左腕に光を集めて、自分のデュエルディスクを具現化させて見せる。ナッシュも試しに一度デュエルディスクを腕に出現させてみせた後、目を瞑る。私はその間ナッシュの何もない股間に注目しながら、しばしの沈黙。
「……無理っ」
何も現れないままの股間を恥ずかしそうに覆いながらナッシュは首を横に振った。
「全然分かんねぇよ、なんでお前そんなに分かるんだよ。お前と一緒に風呂入ってたことあっても、さっぱり想像つかねぇぜ」
「男より女のほうが想像力は豊かだって言うものね」
「そういう問題か……?」
「そういう問題よ。……なら私が教えてあげるから、想像してみて」
ナッシュの肩をゆっくりと押しながら、彼の身体に覆い被さる。股間に生やしたままのペニスにナッシュは怯えるような目さえしていた。白い指先をゆっくりとナッシュの何もない股間に触れさせる。割れ目をつくるように撫でればまるで私が今からナッシュを犯すようで、ぞくぞくと背筋に震えが奔った。
「目を閉じて」
耳がないナッシュの耳元で囁く。ゆっくりと下ろされた瞼の先で睫毛が震えている。
「ここらへんかな……こう、割れてるの」
ぐいと指を押し付けてナッシュの紫色の肉を凹ませる。
「割れた先に、またちょっと小さい割れ目があって。その奥に穴が開いてて身体の奥に繋がってる感じかな。膣と子宮。保健の授業で習ったでしょう?」
「ん……」
恥ずかしそうに身を捩らせるナッシュに、つうと指を滑らせていく。
「大きさはこのくらいかな……指、入るか入らないかくらいの。とはいえ、セックスするときは、こんな大きさのペニスが入るんだからすごいよね」
自分の股間に生やした男性器を見てみながら思う。こんなに大きなものが愛する人の中に入りその内側を満たすのだ。身体の奥でつながって、ひとつになるのだ。そうして愛しあうことで、人間は繁殖する。
「メラグ……」
いつの間にかナッシュの瞼が開かれていた。押しこむ指先に変化は何ひとつ見られない。ただほんの少し、指に押されて凹んでいるだけ。
「……ねぇ、ナッシュ。私達、子どもは作れないわ。その必要はないもの。愛しあう必要だってないのかもしれない。キスもできない、セックスもできない身体だもの」
指の動きが完全に止まってしまっていることにさえ気づけずに私は衝動のままナッシュを寝台に完全に押し倒していた。ぽたりぽたりとナッシュの肌をどこからか落ちた水滴が濡らしていく。
「でもナッシュ。私、今、すごく、あなたとセックスしたいの。繋がりたいの。ひとつになりたいの……。今までこんなこと思わなかったのに。おかしいよね。ねぇ、ナッシュ……ナッシュ……」
ふわりと身体を包んだのは、この世界と同じ赤色だった。ナッシュの纏うマント。私の白い身体にかけられて、それごとナッシュの腕が私を抱き寄せた。
「……メラグ」
背中をあやすように撫でられる。優しい彼の手の暖かささえ感じられないはずの皮膚を通じて心に染みわたる、彼のぬくもり。
「俺にはやっぱり、うまく想像できねぇ。でも、お前をこうして抱きしめることは出来る。それじゃあ、駄目か? それだけじゃ、駄目か?」
表情は見えないけれど、ナッシュの声色は優しくてたまらなかった。大好きな兄の声に違いなかった。
「……子どもみたいじゃない」
誤魔化すように苦笑いしても、ナッシュの背中に腕を回している今では私の顔も彼に見えることはないだろう。
悔しかった。私がナッシュを励まそうと、守ろうとするたびいつもこうなる。私が励まされて、私が守られる。誓ったはずなのに。はじめは確か、バリアンとしてこの世界で存在が始まったとき。二度目はこの姿でここに戻ってきたとき。兄妹なんて立場は関係なく、ナッシュを守り鼓舞する剣であろうと。
ナッシュの身体に回す腕に力を籠める。一つの世界を背負う皇にしては華奢な身体。それでも。
「子どもじゃないのにね、もう、私達」
友達からのリクエストで書いたメラナシュ。バリアンにもtnk生えるならこんなかんじかなーがテーマ(?)でした。
Text by hitotonoya.2014