あかいせかいのゆめ

 

 静かな夜だった。海は穏やかで、窓から見下ろす水面には月が揺れている。満月と同じ色の鎧を脱いで、俺はベッドの中に入る。ランプを消す。今日も世界は穏やかだった。戦争も、災厄も、飢饉もない。それはこの国を治める王として喜ばなければならないことだった。だというのにどうしてだろう。俺はちっとも嬉しいとは思えず、しかし悲しいとも思えず、ただ胸にぽっかりと穴があいたような喪失感ばかりを抱いている。

 瞼を閉じれば深い闇が訪れる。海の底のような深淵。沈むように眠りに落ちる。たいして疲れているわけでもない。睡眠が不足しているわけでもない。それでも深い深い眠りに俺はすぐにつけるのだ。だって俺が今ここで起きていたとして何があるだろう。公務は終わったからと寝室に忍び込んで甘えてくる妹は棺の中。窓から突然に顔を出して俺を驚かせる天馬の英雄も二度とこの国に戻ってこない。睡眠を忘れるまでに憎み焦がれた仇のベクターももういない。それに滅ぼされた数多の信頼する兵士、国民、俺がまもりたかったもの全て。

 王として相応しくない思考ばかりがまどろみのなか募っていく。ああ、それでも俺は王のまま。この国を治めなければならない。共に世界を見たかった信頼する者達を全員失ってなお。今いる国民が大切でないわけではない。それでも、この平和な国を、どうして俺はまだ守っているのだろう。その思いばかりが日に日に俺の心を埋め尽くしていく。

 明日もきっとまた平和な日々が続くだろう。海の神に忠誠を誓われた王の加護の元、ポセイドン海は繁栄を続けるのだ。

 

 じんわりと生ぬるい空間の中で俺は目を開ける。赤い光がぼんやりと瞬くそこは蓮の蕾の内側だ。赤い光に包まれるように俺はその中で横になっている。身体を丸めて、赤子みたいに。ピンク色の花びらから透ける外の世界は赤く、俺の治める王国ではなかったけれど、不思議と懐かしさがあり、望郷の情をかきたてるものがあった。儚い赤い光は俺の半開きの睫毛の先に触れただけで泡が弾けるように消えてしまう。その中で俺は誰かに抱かれている。やさしく俺の身体を撫でてあやしてくれる存在は、いつも一緒にこの花の中で寝ているけれど、視界にもやがかかったように、赤い光に包まれて阻まれてその姿を確認することはできない。ただ長い金髪が水のように流れて美しいことだけは分かった。まるで母のようなその存在に抱かれながら、俺はもう一度瞼を閉じる。とくん、とくん、と聞こえるいのちの鼓動。なつかしい。あたたかい。かえりたい。現実よりもずっとこの夢の中のほうが居心地がよかった。失ったもの全てが、この蓮の内側に、外側に、存在しているような気がした。

「のう、ナッシュ。我の世界は心地よいだろう?」

 不思議な声が降ってくる。男の声のような、それでいて女の声のような。人間という生物を超越した存在のような惹きつけられる魅力のある声だった。

「いずれここに来るがいい。お前の気が向いたらで良い。我らはいつでもお前を歓迎し抱擁しよう」

 くすりと笑った蓮の花の主に、俺は瞼を閉じたまま頬を寄せた。俺の世界を、いずれこの愛しい赤がうめつくす日を願うように。

2014.03.03

バリアン世界に導かれる前の前世ナッシュ。ドンナシュもっと読みたいよー

Text by hitotonoya.2014
inserted by FC2 system