「シャーク、シャーク!」
鮫を意味する英単語は俺のあだ名だった。そう呼ばれ始めたのはいつからだったろうか。そうだ、あのデュエルモンスターズ全国大会で失格となった後からだ。カードゲームにおいては不正な行為を揶揄する鮫の名。自虐的にその呼び方を受け入れてみせて、デュエルディスクの登録名にまでした。永遠に俺についてまわる罪の証だったその名は、一人の少年との出会いによってその意味を俺の中で昇華させた。
「シャーク、シャークってば!」
そう、そいつはこんなふうにいつもでかい声でその名を呼ぶ。そのあだ名がどんなふうについたものか一年坊主のこいつは知りもしない。ただ、何の悪意も侮蔑もない声で呼ばれるその名は心地よくて、そいつの言った「いつだって相手に噛み付きそうな勢いで向かってくるデュエルをするからシャークなんだろ」とかいう単純極まりないこじつけも、いつの間にか気に入ってしまって、気づけば俺はそいつに笑顔でシャークと呼ばれることが嬉しくなっていたんだ。
「起きろって!」
思い切り肩を揺さぶられると、まるで階段を踏み外したようにがくりと身体が揺れてようやく瞼を開ける。目が覚めたのだ。
「シャーク! 良かった、死んじまったかと思ったぜ」
大きな瞳の表面にうすい涙の膜をつくった遊馬が至近距離にいて、そのせいで心臓が止まって死んでしまう気がした。動揺を表に出さぬよう、冷静な表情と声色を作る。
「死ぬわけねぇだろ。……ここは?」
キョロキョロと辺りを見回すと薄青い神秘的な世界が広がっていた。ほんのりと暗い空間。遠くに到底人間世界には存在しないであろう建築物と明かりが見える。だが遊馬と俺がいるのは青いだけの砂浜と静かすぎる海に囲まれている。建物にたどり着くにはかなりの時間を要すだろう。
「何言ってんだよ、アストラル世界についたんだよ、俺たち」
「アストラル世界……?」
確かに肌に触れる空気さえここは人間世界とは違う。赤い鉱物ばかりで満たされたバリアン世界とも正反対の青い世界は言われてみれば確かにアストラル世界なのだろう。
「アストラルを取り戻すために、カイトとXが俺たちをここまで送ってきてくれたんだろ。お前、頭うっちまってキオクソーシツになっちまったのか?」
「んなわけねぇだろ!」
しっかり覚えてるよ、と言い捨てながら、ズボンにつた砂を払い立ち上がる。No.96との闘いでアストラルを失った遊馬の落ち込み方は尋常ではなかった。そんな遊馬の助けになりたいと、自分は願っていたではないか。いつも遊馬に助けられている自分が借りを返さないでどうすると。だから少しでも遊馬の力になりたくて仕方がなかった。仕方がなかったのに、俺は……。
「うわぁ! なんだ、こいつらっ!」
呆けている間に俺から離れて遠くの街を眺めに行っていた遊馬は見たこともない犬のようなモンスターたちに囲まれていた。敵意をむき出しに唸るそいつらは鋭い牙を剥き今にも噛み殺してきそうだ。
「遊馬!」
足が動いたのは反射的にだ。同時に遊馬にとびかかってきたモンスターの群れから、遊馬を抱くように押し退けて逃がす。
「走れ! 遊馬!」
「お、おう!」
噛み付いてくる犬の鼻先をすんでのところでかわすと遊馬の背中を追う。足は俺のほうが速いから、すぐに追いつくことができた。
「Xの言ってた通りだぜ、この世界は俺たちを歓迎してくれないってわけか……」
異物を排除しようとするのはどこの世界でも同じだと走りながら思う。人間世界でも、ルールを脱して落ちぶれた俺はすぐに周りから排除された。しかもここはアストラル世界。俺を排除しようとするのは当然だ。
「って、崖ぇぇええ!?」
一目散に逃げたせいで、俺たちの目の前にはいつの間にか切り立った崖とその先に広がる海しかなかった。振り返っても道は細く、複数体のモンスターに埋め尽くされて逃げ場がない。
「くそっ……! 遊馬、飛び降りろ!」
「ええっ?! すっげー高いっぽいぜ、ここ!」
「泳ぐのなら得意だっ」
そうして俺は遊馬を抱えて一思いに飛び込む。海に沈んでしまっても、遊馬を抱えて岸まで泳いでいく。そう決意しての行動だった。だが、猛スピードで落下する最中。眩しい光が遊馬の腰から放たれた。デッキケースから飛び出したそれは虹クリボーと名のついたモンスターカード。そいつは遊馬と俺を包むと、着水する前に潜水ボートの形をとった。
ざぷんと激しい水音は響いたが、虹クリボーの変化したボートの座席はクッションがきいて柔らかく、衝撃はほとんど受けなかった。
「虹クリボー! 助けてくれたのか! すげえだろ、シャーク。父ちゃんが使ってたカードなんだ」
超常現象にも当たり前に対応する遊馬の笑顔を、隣の座席で俺は眺めていた。こんなに近くにあるのに遠い笑顔。俺が何をしてもしなくても、きっと遊馬はそのかっとビング精神で解決してしまうのだ。否、彼一人の力ではない。彼に惹きつけられた仲間たちの力で。カイトにX。この虹クリボーをはじめとした彼のデッキのモンスターたち。なら、俺は? 俺は遊馬のために何かしてやれただろうか? ……俺がいなくても、遊馬はじきにアストラルを取り戻すじゃないか。俺は遊馬を助けるどころか、俺は遊馬の倒すべき敵だったのだ。俺がこいつに何もしてやれなかったのは、そう運命づけられていたからだった。
そう、これは夢。
俺はバリアン七皇のリーダー・ナッシュであり、遊馬とアストラルに敵対する存在。その俺が神代凌牙であったときの願望が見せた夢なのだ。
「なあ、シャーク」
無言で前を見据えていた遊馬が口を開く。この間も虹クリボーはどんどん加速して陸地を目指していく。
「ありがとう、一緒に来てくれて。ここがどんなに危ない場所かって、散々カイトやXに言われたのにさ」
遊馬は視線を前から逸らさない。その赤い瞳は真っ直ぐ未来を見据えている。
「俺、すごい嬉しいんだ。シャークが一緒に来てくれて。お前が一緒ですげぇ心強い。俺たちなら絶対、アストラルを取り戻して、これから先も一緒に闘っていけるって思うんだ。理由はよくわかんねぇけどさ、すごいいっぱい勇気が湧いてくる。……シャーク。絶対一緒に、アストラルも一緒に、俺たちの世界に帰ろうな!」
「遊馬……」
強い口調で言われたことは、じんわりと俺の心に染みこんでいって、それが目までのぼって涙のように滲んでいく。これは俺の夢なんだ。だからこんなふうに遊馬は言うのだ、そう思って違和感に気付く。
カイトとXが遊馬をアストラル世界に送ったなんて知らない。俺とのデュエルで遊馬は虹クリボーを一度も使っていない。なのに俺の夢はどうして俺の知らない光景を映し俺の知らない情報を知っているのだろうか。
「シャーク」
遊馬がそのあだ名を呼ぶ。遊馬はそのあだ名がかっこ良くて羨ましいのだと、いつか言ってくれた。
そうか、これは。
この夢は。
ぽつりと涙が零れて膝の上で震えていた手の甲を濡らす。俺は今どんな顔をしているのだろう。俺は遊馬の前で泣いたことはなかったはずだ。遊馬の思う俺の泣き顔はどんなものなのだろう。みっともなくカッコ悪いものだろうか。それとも。
「遊馬」
枯れた声が愛しい人の名を、ありったけの思いを込めて紡ぐ。
「ありがとう」
こんな俺の夢を見てくれて。
「えっ、何泣いてるんだよ、シャーク! 大丈夫か! やっぱりさっきどっか打ったのか?」
「うるせぇよ」
遊馬が慌てふためく様を見ながら、俺は目をもう一度閉じる。きっと遊馬の目が醒めるのだ。
ぷよぷよテトリスのEX10章のパロディです。幸せな夢を。
Text by hitotonoya.2014