復讐の剣

 

 その身を海に投げ、神を浄化した巫女姫の葬儀は国を挙げて行われた。民から愛されていた彼女の死の悲しみに包まれて、活気のあった国はただただ静かで喪に服している。……彼女の死を誰よりも悲しみ、また苦しんでいるのは兄である国王だった。彼は世界の誰よりも妹を愛していた。王として国を守る使命の他に、彼はごくごくふつうの当たり前の兄として妹を守ることを己に言い聞かせて生きてきた。予知の力を持つ巫女は命を狙われ危険に晒されることも多く、何より彼女自身がひどく自己犠牲を良しとし己の命よりも国を、世界を大切にしていた。だからこそ兄は余計に、彼女の存在を守ることに固執していたのかもしれない。それの何が悪いだろうか。王に、一個人としての感情があってはいけないというのだろうか。国王の最大の弱点を図らずも手に入れた敵国の邪道皇に迫られた選択に、彼は咄嗟に答えを出すことができなかった。……一瞬の躊躇がすべてを失う結果に繋がることがあると、私も、そして彼も理解していただろう。だが私は、彼を責める気には到底なれなかった。私だって、彼が大切にしている彼女を守ることができなかったのだから。

 彼女の亡骸とさえ彼が対面できなくなった頃には、もう侵略の名残は見えないほどに国は復旧していた。上陸されかけた港も船を出せるまでに回復していた。深い悲しみの中、それでも我が友は王としての務めを果たしていた。海の色をした瞳に、色濃い陰を落としながら。

 夜が訪れると、静まりかえった城の中、彼は彼女の部屋に毎晩足を運んでいた。端から見ると夢遊病のように。そんな友を見つけ、連れ戻すのは私の役目だった。彼女の部屋の扉を開け、静まりかえった暗い部屋に誰もいないことを確かめる。そのたびに膝から崩れ落ちる彼の身体を支えて寝室に連れて行くのだ。時には泣きつかれることもあった。臣下の前で決して泣かない彼が、私にすがりついて大粒の涙を流すのだ。服を握るその手のひらに籠められた力は強かった。布地に皺が寄るのなんて、些細なことだった。そんなことよりも、彼が彼自身の皮膚を傷つけ自ら血を流してしまいそうだった。だから私は、やわらかく指をほどいて抱きしめる。

「私がキミを支えよう。私がいる。キミの傍には、私がいるから」

 幼子をあやすように言い聞かせても彼の涙が止まることはなく、彼は私を「見る」こともなかった。妹に囚われている彼は痛々しく、どうすれば「忘れさせる」まではいかずとも「死の衝撃から立ち直らせる」ことができるのか。そればかりを考えていた。

 数日後、国に届いた噂は、逃げたベクターが近隣の同盟国に攻め入ったという情報だった。小さな島国であった。攻めいったところで何の利益も生まないだろう、自給自足で日々を暮らしているような土地だった。海図をたどれば、ベクターの国への退路とちょうど重なる。たったそれだけの理由で、軍ももたない、国というより最早村といった集団を壊滅させたのだ。その報に怒りを感じたのは、私だけではなく、平和を愛するこの国の民すべてといって良かっただろう。

「ベクター……」

 玉座に腰を下ろした彼が歯を軋らせる。伏せられがちだった瞳に宿ったぎらりとした光を、私が見逃すはずがあるだろうか。

 その夜、彼は妹の部屋に足を運ぶことはなかった。

 呼び出しを受け部屋の扉を叩けば、入れ、と短く低い声で告げられた。強い意志の宿った王の声だった。本来ならば喜ぶべきだろうに、私はなぜか胸さわぎがした。

 扉を開ければ、蝋燭の小さな明かりに昼間見せた眼光をぎらつかせた友の姿があった。

「ドルベ」

 正面に座る。彼の眼光を真正面から受ける。その瞳は私を見ているようで私を見ていない。妹に向けるものとも違う。胸がざわつく。

「俺はこれから、戦争をする。相手は、略奪王、ベクター。我が国に侵略の手を延ばし、海の神を穢し、王族の……我が妹の命を奪った。仇討ちを望む声も大きい。……俺も……奴を許せない。絶対に許してなるものか。地獄の果てまでも追いつめて、必ず」

 それは今まで私が見たことのないような友の瞳だった。蝋燭の炎を反射して光る青い瞳。深い深い海溝の、冷たい水の底の色。その中で燃え盛る炎のような激情。向けられるは、たったひとりの憎き敵。その表情を、研ぎ澄まされた剣のような鋭さと危うさを、息を飲むほど美しいと感じてしまった私は……平和を願う騎士としてどこかおかしかっただろうか。

 友の気持ちは痛いほどに分かる。彼の大切な妹は、私にとっても守らなければならない存在だった。彼の大切な妹を奪った存在を、許しておくことなどできなかった。彼を悲しませる存在を、あのままのさばらせておくことなど出来るはずがなかった。

「……私も共に戦おう」

 握りしめた拳に力が籠もる。

「お前ならば、そう言ってくれると思った」

 友はわずかな安堵に頬をゆるませたが、すぐに表情を引き締めた。一瞬だけ私を見た瞳は、次の瞬間にはまた私を見なくなる。

 その瞳が美しいのは良い。しかし、妹を失った彼の心を埋めたのは私ではなかった。妹を彼から奪った憎き敵。ベクター。彼が見ているのはその姿だけだと、私はもうそこで気づいてしまった。

 ああ、だからこんなにも胸が痛むのか。

 己の胸をおさえる。胸騒ぎも、痛みも、すべて、最愛の友が私ではない男に支配されているからだ。私には決して向けてくれることはなかった瞳。キミのすべてを私は知っていると思ったのに。キミのすべてを私に向けてくれていると思っていたのに。

「……ドルベ?」

 立ち上がり、彼の頬を両手で抱えるように持ち上げていた。私のほうを向かせるように。

「私のことも、見て欲しい」

「……どういうことだ?」

「私を見てくれ」

 その青い瞳で。

 舌を出しながら、ゆっくりと彼の顔に顔を近づけた。疑問の色に染まった青い瞳が私の前では無防備なことへの優越感と、彼の先ほどまでの瞳とは絶対的に違う色だということへの嫉妬を覚えながら、甘い砂糖菓子にそうするように、舌を這わせた。

「うあっ」

 痛みに震えた彼の肩。咄嗟に押しのけられた身体。籠められた力は友からもたらされるものにしては、久方ぶりに力強かった。瞬きを数回、涙の張った青い瞳が私を射抜いた。その奥にぎらつく冷たい炎を見、私は「ああ、」とため息を漏らす。

「いきなり、何を」

「すまない。……戦争を前にすると、人肌が恋しくなってしまうんだ」

 そういう誘い言葉は、もう彼の前で何度口にしただろうか。警戒心を和らげた友は、手をのばし私の身体を引き寄せてくる。

「……地獄の果てまで、俺は行くぞ。それでもいいのか」

「キミの行くところならばどこにでも行こう」

 蝋燭が照らす影が、重なる。

 

 

 

「……これを、お前に授けたい」

 貪るように抱き合った後、友は一振りの剣を差し出した。精巧な細工の施された、鞘に収まった美しい剣。その姿には見覚えがあった。

「これは、キミの剣ではないのか」

「俺のものと、双子の剣だ。俺が生まれるときに、父がまさか男女の双子だとは思わず二振り作らせたらしい……あいつは、巫女になったから、そのままお蔵入りになっていたんだ。……お前に受け取って欲しい。一緒に、あいつの仇をとって欲しい」

 話を聞いて驚いた。差し出された剣は、彼の妹のものだという。彼が誰よりも妹を大切にしているということは知っている。その彼が、妹のものを誰かに譲るなど、彼女の死語でも考え難かったからだ。

「いいのか」

「この剣に誓え、俺と共にあることを」

 まるで婚姻の儀式のような文句に、私は喜びを隠せなかった。両手で大切に剣を受け止め、頭を下げる。

「ああ。この剣でキミと共に戦おう。そして」

 この剣でキミの心を支配する男を、キミがあの美しい瞳を向けるたったひとりの男を刺し貫くことができたなら、そのときは、すべての呪縛から解放されたキミを私だけのものにできるだろうか。

 

2013.09.02

剣がおそろいだったって話を書こうとしたのに話が逸れまくってしまいました。

Text by hitotonoya.2013
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