創世ノート

 全知全能の神ならば、何故失われた命を蘇らせることが出来ないというのか。

 泣き崩れるように訴えた国王に、海の神はただ凪いだ水面のような瞳を向ける。魂の輪廻に踏み入ることは神にも許されていない禁忌なのだと。

 ふざけるな。国王は叫ぶ。お前が殺したようなものではないか。お前が邪の力になど屈するから、妹は。

 国王の青い瞳は、海神とは正反対に、嵐の海のように激しく波立ち濁っていた。

 連合国を統べる幼き指導者が狂ったはじまりは、遠き海より現れた虐殺王の侵攻を受けた日だった。血の代償により性質を歪められた海神を浄化するため、巫女として国王の最愛の妹は海に身を投げた。聖なる魂が海神を浄化し虐殺王を退けた。巫女の魂との契約により海神は国王に永遠の加護を誓うことになった。だが海の泡となった妹は、国王の腕の中に二度と戻ることはなかった。生まれたときから共にいた半身を失った国王の悲しみは深く、国中を長い間喪に服させた。

 己の無力を嘆き絶望にうなだれる王を、それでも支えてくれたのは幼き頃よりの友だった。大陸の大国で英雄と呼ばれるまでに名を上げた国王の友たる騎士は、虐殺王との海戦にも駆けつけてくれた。国王を奮い立たせ、残党の処理には背中を預け合って戦い、そして悲しみに暮れるばかりの国王を叱咤激励してくれた。

 幼き日に国王とその妹、友である英雄は誓い合った。誰もが悲むことのない国を、世界をつくろうと。夢物語のような理想を、厳しい現実の中でも信じて歩むべきだと。

 約束をしたんだ。三人で、いつか、絶対、そんな世界を創ろうと。三人揃って、そんな美しい世界を見ようと。

 ぽろぽろとこぼれ落ちる言葉は涙というよりも血のにおいがしていた。

 

 英雄が大陸での謀反を聞きつけて、天馬で駆けつけた先で部下に殺されたことを国王が知ったのは、つい先日のことであった。妹を失った国王の何よりの心の支えになっていたのは英雄だった。

 そんな彼の死が、惨劇、悲劇として語られ……海を越えて伝わってきたときには、もう国王の心は脆い硝子のように砕かれてしまっていた。ばらばらになって、無数の鋭角を生み、国王は自らに触れるもの皆に血を流させるようになった。

 国はそれでも指導者を信じ続けたが、既に国王の心は、修復できないほどに壊れ果てていた。

 城の地下、禁書が治められた書庫で寝食も忘れ国王は過ごした。魂の輪廻に踏み入る邪法。それを可能とする信仰が、この国にはあった。王家に代々伝わる紋章の首飾り。異なる世界から契約の扉を開きもたらされたという伝説。王はそれに縋った。この世界の海神が何の力も持たぬというならば、異世界にならば、あるいは方法があるかもしれないと。

 狂ったように書物を読みあさり、縋るように紋章の首飾りを握りしめる王の姿を、海神はただ見ていた。

 

 国王がその部屋に籠もって何日が過ぎただろうか。彼はもう涙も忘れた虚ろに曇った瞳で海神を睨みつけた。

 ついに扉を見つけたぞ。その向こうにいる異界の神が全ての望みを叶えてくれるのだ。

 紋章の首飾りを握りしめ、海神の加護の元、国王は海底に封じられた遺跡を目指す。

 厳重に封印された禍々しい扉を開く鍵は、紋章の首飾りであった。はめこめば、鎖錠が割れる。開いた扉の中に国王は迷わず足を踏み入れる。こちらがわとむこうがわの境目に立ったとき、扉の向こう側から赤い何かがずるりと這いだした。この世のものではない力の波動に、国王は歓喜の溜息を漏らす。

 異界の神よ。真に全知全能たる神よ。お前は俺の望みを全て叶えてくれるのか。

 問えば空気をも震わせる声が響き渡る。願いの成就には代償が必要だと。その程度は文献による知識から、国王も覚悟していたことだった。

 しかし七つの生け贄を求めた異界の神に、国王は首を横に振る。

 俺は俺の命くらいしか捧げるものを持っていない。

 鎧も身につけず、無防備に己を晒す国王に、異界の神は血色の瞳をぎらつかせ笑う。

 構わぬ。生け贄は後払いででも頂くとしよう。

 その濁った言葉に安堵の表情を浮かべた国王は、振り返ると凪いだ瞳で全てを見届けようとしていた海神に命じた。

 ならば俺が次に転生をしたときに、願いを叶えたその先その命を代償として払わせよう。次の世の俺にそう伝えてくれ。

 それがいつになるのかは、我にも分からぬと海神が告げれば国王は笑った。何年後、何百年後、何千年後でもいいか。異界の神に尋ねれば、ああ全てはうまくいくように出来ていると告げられる。海神が承諾すると、異界の神が国王に促す。

 まずはひとつ、復讐を願った。すべての歯車を狂わせておきながら未だにぬけぬけと生き延びているあの虐殺王に、凄惨なる絶望に満ちた死を。

 国王の瞳は赤色に染まった海を映す。

 異界の神はその巨大な掌で国王の痩せて細いからだを握り込んだ。

 いいだろう。

 許容の言葉に国王の唇は歪んだ弧を描く。その笑みがまるで彼が憎んだ虐殺王のそれよりも、ずっとずっと狂気に満ちていたことを国王に教えてくれるものは、誰もいない。

 現世でやり残したことはそれだけか。

 問いかける声に頷けば、次は来世の望みを歌うだけ。

 すべての、無念と絶望のうちに死んだ人々に救済を。輪廻の道から外れても、愛しい妹と友との再会を。そして理想の世界を今度こそ創るのだ。

 そうして国王を引きずりこんで、異界へ繋がる扉は閉ざされたのだ。

 

 

 巫女として身を投げた国王の妹は、裏切りに絶望し死んだ。兄である国王が国と自らをかけた選択に決断を果たせぬ弱さを、裏切りだと絶望しながら。

 輪廻の中に漂う、どす黒く絶望した魂をひとつすくいあげる。

 愛馬と共に仲間に斬られ死んだ英雄は、最期の瞬間には思いが通じたことに満ち足りて天に昇ったはずだった。その魂の奥底に異界の神は裏切りの絶望を見つける。世界を共に創ろうと誓い合った友の心が折れた弱さへの失望。ふたつめの魂をすくいあげる。

 そうして片手の中に既にある扉を開いた契約者は、世界と己の無力さに絶望し狂った魂。みっつめの魂。

 そしてよっつめになるだろう、虐殺王にみっつめの魂の願った呪いをかける。己さえ信じられなくなる呪いを。やがて虐殺王は絶望の中で自らを手にかけるだろう。それが呪いだとも知らず、自らによる裏切りと感じながら。

 さて残りみっつの絶望の魂を異界の神が見つけるとき。全てを忘れた無垢でおろかな国王の願いは果たされるのだろう。

 混沌の海の中で新たな世界が産声をあげる時を待ちわびながら、輪廻の中から奪われた魂は忘却の中に眠る。

 鎖でかたく閉ざされた扉には、亡国の秘宝であった、紋章の首飾りの赤い石がどろりと血のように輝いていた。

2013.06.25

あの国王がナッシュだったら絶対あの後なんかやらかしてるだろと妄想が暴走して捏造に走りました。

Text by hitotonoya.2013
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