潮風のイノセンス

 久々に降りた街は活気に満ちていた。今朝大型の漁船が帰還したばかりの市場には新鮮な魚を売る店が並び、大声で客の呼び込み合戦を繰り広げている。海上の王国で、海の神よりもたらされる恵みは最も身近であり、そして生活に欠かせないものだ。軒先を見て回る。賑わっている大通りはそれでも十分に整頓され美しく、人々の目も生き生きとしていた。少年は安堵する。不漁や不作の兆しもなく、同盟国との関係も良好。国が抱える問題はもちろんたくさんあるけれども、国民の生活は、少なくとも危機には瀕していないらしい。

「兄ちゃん、どうだい。隣の国から仕入れてきた果物だ。今日あがったばかりの魚とあわせて食うとさっぱりしてうまいぜ」

 声をかけられて、少年は日除けのフードの下から店主の差し出したオレンジを見る。太陽光を反射して眩しく輝くオレンジはまるまると実ってかおりたち、暑さに喉が乾いていることを思い出させる。

「じゃあ、ひとつ。もらおうか」

「良い買い物だぜ」

 そうして懐に手に入れて……少年は焦る。日除けの外套のポケットを探る。その下の服まで手を入れる。……どうやらうっかり、小銭を持ってくるのを忘れてしまったようだ。少年は普段小銭を持ち歩く習慣がない。こっそりと臣下や妹(彼女もたまに同じように街にでているのだが、自分のことは棚に上げている)の目を盗んで街に繰り出すときにだけ、いくらか持ち歩くようにしているのだが……。

 会計を待つ店主の視線が刺さる。決して急かされているわけではないのだが、あのうまそうなオレンジを味わえないことが純粋に残念で仕方ない。諦めて、持ち合わせがないと断ろうとしたときだった。

「店主。そいつをひとつ、追加で頼む。会計は一緒でいい」

 横から伸びた、鎧に覆われた腕。その先の手のひらには小さな銀貨が二枚ばかり乗せられている。

 振り向いて、顔を見る。この国のものではない銀の鎧を着込んだ生真面目そうな騎士。手綱もないのに従順に騎士の後に従う白馬には美しい翼が生えている。灰がかった銀髪と同じ色の瞳が、少年を見てにこりと笑った。

「お前は」

「キミの危機にはいつでも駆けつけると約束しているだろう?」

 店主から受け取ったオレンジのひとつを差し出しながら言う友に、少年は気恥ずかしさに舌打ちをしてそっぽを向いた。

「財布忘れたのが危機とか、大げさすぎだぜ」

 

 

 

 

「乾杯」

 行きつけの酒場で少年と騎士は久々の杯を交わした。

 ぶどう酒は騎士が手みやげに持ち込んできてくれたものだった。

「いいぶどうを使っているな」

「前の戦で陛下から賜ったんだ」

「いいのかよ、そんな貴重なもん」

「ああ。キミにも是非味わって欲しかったんだ。むこうの国はうまい酒を作る。もちろんこのポセイドン海連合国の酒もうまいがね」

「確かに……酒造技術も輸入したいものだな。それで、今回は仕事か? ドルベ」

「いや。休暇だから、キミの顔を見に来たんだ」

「そんな距離じゃねぇだろうが」

 とはいえ銀髪の少年騎士……ドルベが休暇の度に、故郷のあるこのポセイドン海の連合国に帰ってくるのはいつものことである。騎士として、剣術や戦の仕方、また政治や文化を学ぶために大陸の大国で日々研鑽しているドルベの活躍は海を越えこの国にまで聞こえてきているが、こう毎度里帰りしていたのでは、向こうの国からの信用を十分に得られないのではないかと心配もしていたのだ。

「キミが心配で」

 だというのにドルベはそんなことをのたまう。

「もう心配されるような歳じゃねぇ」

 遮るように少年は酒を煽りながら言う。きっ、と睨めばドルベはそうだな、と真面目な顔で頷くのだった。それがまた余裕を見せられているようで腹立たしい。

「いつ帰ってきても、この海の上は穏やかでかつ活気に満ちている。キミが治めているからに違いない。ナッシュ」

 まっすぐな瞳で純粋な誉め言葉を口にする。そんな少しだけ年上の幼なじみに素直になれなくて、このポセイドン海を統べる少年王……ナッシュは、酒のせいだけでなく頬を赤らめて、年相応な表情を浮かべてしまうのだ。

「妹君は元気か?」

「元気もなにも、元気すぎてこの前なんて城から勝手に馬で脱走して……」

「キミもそうだろう」

「……まあそうだが」

 苦笑しながらナッシュは杯を揺らした。昔は良く三人で遊んだものだった。ドルベは今は連合国のひとつとなっている隣国の貴族だった。まだ王子だったナッシュと話があった。身分に縛られず遠慮なくナッシュに接してくれる友は数少なかった。

 城から脱走するうまい方法を教えてくれたのもドルベだった。脱走がバレて謹慎を命じられたナッシュが部屋でふてくされているときに、詫びだと言いながら窓の外からペガサスに乗って現れて、夜の海の上を一緒に飛んだことは今でも鮮明に覚えている。根は真面目なくせに、そんな風に悪戯っぽいところもあるドルベのことを、ナッシュは面白い人間だと好いていた。

「しかし外面はいいが中身があんなんじゃ、嫁に行けるかが心配だぜ」

「彼女は巫女の役割もあるのだからまだ先の話だろう。キミはいつも彼女のことを心配しすぎだ」

「俺がシスコンってでも言いたいのか? ドルベ?」

 酒が回ってきたのか絡んでくる口調のナッシュにドルベは苦笑する。

「そういうわけじゃないさ。彼女……メラグだって、キミが嫁をもらうまでは心配で側を離れないだろうさ」

「俺はいいんだよ。妻をめとる前に、まだまだやらなきゃなんねぇこととか、学ばなきゃならないことがいっぱいあるから」

「そうは言ってもそろそろ考えなければならない時期だろう? 大陸にまでキミの嫁探しの話は届いているぞ。優秀な少年王の妻なら海を越えてでも見合いにいく価値はあると」

「んな話、勝手に大臣たちが進めてるだけだ」

 杯に酒を継ぎ足すナッシュからドルベは瓶を取り上げる。飲み過ぎだと制す彼にこれみよがしに舌打ちしてから、ナッシュはドルベの鼻先に指をつきつけた。

「お前の方はどうなんだよ。お前の噂だって海を越えて聞こえているぜ、歴戦の英雄様。こんなとこ来てないで、向こうで女のひとりやふたり作った方が向こうの王も喜ぶんじゃないか? 海を越える長旅してちゃ、折角の休暇でも体が休まらないだろうしな」

 ドルベはきょとんとナッシュのつきつけた人差し指を見つめると、しばらくした後にその指を掴んで下ろさせる。武器を持って戦う騎士の指は、触れてみれば、端正な顔に似合わず、以前ここに戻ってきたよりも更に無骨にたくましくなったように思えた。

「そんなことはない。この国のこの潮風、太陽や月の光。その中でキミとこうして会って話しができることが、私の何よりの喜びであり癒しになる」

 そのためにこの酒を持ってきたのだと、微笑んでドルベは瓶の中のぶどう酒を、ナッシュの杯に注いだ。

「何言ってんだ。恥ずかしいヤツ」

「キミもまんざらでもないだろう?」

「……まあな。今夜はどうする。オレンジの代金も返さねぇといけないし、うちに泊まってけよ」

「いいのか一国の主がそんな気軽に他国の騎士を招いて」

「いきなり他人ぶるんじゃねぇよ。マッハに乗せてもらって窓から入れば、面倒な手続きもいらねぇし俺が脱走したことにも気づかれないし一石二鳥だ」

「まあ……それもいいか」

「そういうやり方を教えてくれたのはお前だろう、ドルベ。お前、前も窓から……」

「ああ、あの時は本当に……」

 そうして瓶が空になるまで二人は飲み、語らった。

 

2013.06.24

109話の英雄のイケメンさがやばかったので捏造。便宜上名前をドルベ、ナッシュ、メラグとしてますがナッシュ=あの国王は正直まだ疑ってます。

Text by hitotonoya.2013
inserted by FC2 system