海の支配者

 

 静かで穏やかな海の中に凌牙の身体は漂っている。すぐ目の前を泳いでいく魚の群れ、足下の海底で砂の中に見え隠れしているヒトデや貝達。皆見慣れた顔だ。凌牙は何度もこの海の中に来たことがある。夢の中で。

 ……否、現実でも、凌牙はこの海の持ち主なのである。海は凌牙のデッキそのもの。泳ぐ魚は凌牙の愛用するモンスター達だ。ARヴィジョンで見る水族館のような、メルヘンチックな夢を中学二年生にもなって見ていることは他人に言うことができないが、一人心の中にとどめておくだけなら、この夢は凌牙が最も好きな夢だ。

 キャット・シャークが小さな身体で凌牙のすぐ隣まで泳いでくる。猫のような仕草で凌牙の胸に飛び込んでごろごろと頬ずりされる。水の中なのにふわふわとした毛の感触を心地よいと感じられるのは、夢だからに決まっている。そんな矛盾を忘れて凌牙はこの時間を楽しむことに決めている。

「こら、そんなにじゃれるな。服がぐしゃぐしゃになっちまうだろ」

 顎の下を撫でてやれば、キャット・シャークは大人しくなる。いい子だ、と誉めてやろうとしたときだった。彼が急に鼻息を荒くして、毛をざわりと逆立たせたのは。凌牙が首を傾げる間もなくキャット・シャークは凌牙の身体に隠れるように逃げていく。何かあったのか、と振り返る前に凌牙も彼自身の海の中に、異質な「何か」が紛れ込んだのを感じた。

 あたたかかった水に氷のように冷たい「何か」が流れてくる。どくんと心臓が跳ねる。

 無意識のうちに凌牙は自分の右手の甲を確認していた。何の変哲もない自分の手だけがそこにあった。あのときのように……不思議な数字はそこに浮かび上がっていない。

「………」

 ゆっくりと振り返る。細かな泡が水面を目指していく。その泡の向こうにある青い影を凌牙は鋭く睨んだ。

 背に生えた翼膜で水を切り、泳いでくるのは異形の鮫。頭は鮫のかたちをしているが、そこに目はない。なのに凌牙はそのモンスターからの視線を全身に感じていた。長い尾と身体のつなぎ目にある大きな球体が目だとでもいうのだろうか。凌牙がいくら見つめても答えは出そうにない。

 背鰭の付け根に刻まれた刻印は47。No.47 ナイトメア・シャーク。瑠那に渡された、凌牙が手にした二枚目のナンバーズだ。

「せっかくいい夢見てるのに、悪夢のおでましか」

 皮肉げに笑んでみせるのは凌牙の強がりだ。ナイトメアという言葉が何を意味するかは知っている。瑠那はナンバーズは使う者が使えば危険なものではないと言ったが、凌牙はそうだとは思わない。瑠那だってだからこそナンバーズを抹殺しようとしているのだろう。見る限り異質な雰囲気を放ち他のモンスターとは異なる力を発するそれは一瞬で凌牙の幸せな夢を悪夢に変えてしまう。穏やかに泳いでいた魚達は遠くへ逃げていってしまった。

 轟、と水がうねる。凌牙の前に、庇うように現れたのはバハムート・シャークにエアロシャーク。凌牙の傍で槍を構えるのはブラック・レイ・ランサー。かつてより凌牙が頼りにしてきたエースモンスター達。彼らも明らかにナンバーズを警戒している。

「俺を守る力だって瑠那は言っていたが……」

 これでは守るどころか害なす存在である。

 ナイトメア・シャークは何も語らず、モンスター達の鋭い視線に動じることもなく凌牙をじいと見つめている。

 九十九遊馬とのデュエルの最中に現れた17の刻印を持つナンバーズ……リバイス・ドラゴンは不気味な声で凌牙に語りかけてきた記憶がある。こいつはしゃべれないのだろうか、と凌牙は疑問に思うが返答は望めない。

「俺を操りに来たのか」

 リバイス・ドラゴンに操られたときの感覚は今でも鮮明に思い出せる。不自然に溢れ出る自信、異質のものに対する全身の拒絶反応、麻薬のような高揚感。凌牙は飲み込まれることしかできなかった。デッキのカードたちも突如現れた未知のカードに、そしてそれを操る凌牙に恐怖していたようにも感じられた。

 凌牙の問いかけにナイトメア・シャークは沈黙で答える。リバイス・ドラゴンのときのような強引さや横暴さは彼には感じられない。殺気もない。冷たく異質な力を放ってはいるものの、凌牙を支配しようとしてこの場所に現れたわけではないようだ。

 下がれ、と口に出さず、視線と仕草だけで、凌牙は己を守ってくれていたモンスター達に告げる。長い間共に生きてきた彼らはすぐに凌牙の言いたいことを察し、道を開けてくれた。キャット・シャークを彼らに預け、歩くようにして、凌牙はナイトメア・シャークに近づく。爪先のひとつも動かさずにいるナンバーズは果たして何を考えているのか。

 そっと手を伸ばす。突き出た鼻先にふれる。ひんやりとしているが、その感触は他のモンスター達と変わりはない。鮫の表皮に似ている。ナイトメア・シャークは凌牙の身長にあわせるように、少し屈んでくれた。背鰭の付け根に間違いなく刻まれた赤色の数字。触れてみる。拍子抜けするほどそこは他の場所と変わりなく、凌牙の身体にも何も起こらなかった。

「お前……本当に、俺の力になってくれるというんだな?」

 目のない鮫はただ凌牙の言葉を受け入れ沈黙する。凌牙はふっと口元をつり上げた。挑発的な笑みは凌牙がデュエルを心底楽しんでいるときのものだ。

 一年前、八雲の罪を庇い凌牙は不正の汚名を自ら被った。

 そんな凌牙が公にデュエル出来る場は殆どなかった。

 ナンバーズに操られたデュエルで九十九遊馬に負けた後は取り巻き達から見捨てられ、いよいよ居場所を、デュエルのできる機会をなくしてしまった。

 そんな中……凌牙にとどめを刺したはずのナンバーズが、こうして再び凌牙にデュエルの機会を与えてくれるというのだ。

 そうしてそれが八雲を闇から救う手段にもなるというのなら、その力はむしろ凌牙の方から欲するべきもの。

 凌牙はナイトメア・シャークに背を向ける。それは拒絶ではない。このナンバーズになら、背中を向けても大丈夫だという信用と自信の表れだ。驚いたように凌牙を見、ナイトメア・シャークへの警戒を解かないバハムート・シャークたちに手を広げてみせる。

「この海の新たな住人だ。そう警戒しないで、仲良くしてやってほしい」

 バハムート・シャークやキャット・シャークとは効果のシナジーも抜群だろう、と凌牙は考える。

 まるで凌牙のために存在するようなナンバーズ。リバイス・ドラゴンのときも同じだった。あのときの凌牙は純粋にすべてを打ち倒す力を望んでいた。だからあのナンバーズは、攻撃力を上昇させる効果を持っていたのだろう。そしてナイトメア・シャークは凌牙がナンバーズ・ハンター達に勝利するための力を間違いなく持っている。

 悪夢の名は、きっと不吉なものではない。逆に悪夢を支配し、喰らい尽くす力を持っている象徴。

 右手の甲を見る。何も浮かんでいない。凌牙は凌牙のままだ。それを証明するように、キャット・シャークが泳いできて、凌牙に抱きついてくる。

 今なら誰にも、負ける気がしない。

 ナンバーズ・ハンター達にはもちろん、凌牙の背の向こうにいる、ナンバーズにも、決して。

 今度は力に飲み込まれることなく、操ってみせる。迫る悪夢をすべて消し去ってみせる。そうしてこの穏やかな海の中で、再び自由に泳ぐのだ。

 

2013.05.04

神代凌牙+モンスターWeb企画「Deep Sea Attack!」に参加させて頂いたものです。ナイトメアシャークについてはいろいろ妄想がはかどって美味しいのではよ漫画版の続きが読みたいです。

Text by hitotonoya.2013
inserted by FC2 system