アステリアの淵よりさよならを

 

 遊馬が行方不明になってもう一週間が経ちました。

 遊馬は本当に、何の前触れもなく私たちの前からいなくなったのです。それと同時に、真月くんも、ぱたりと学校に来なくなりました。二人でまた、バリアン関連の事件に巻き込まれてしまったのかもしれません。

 不思議なことに、彼らの行方が知れなくなったことに気づいているのは、クラスで私、たった一人でした。鉄男くんたちも、右京先生も、普段と変わらず登校して、授業を受けて、下校をしているのです。遊馬と真月くんがいなくなったことに気付かずに。……いいえ、まるで二人がはじめからこの世界に存在していなかったかのように。

 アリトのことを私は思い出しました。バリアン世界からの使者だった彼は、ハートランド学園で私たちと同じように授業を受けていたはずなのに、遊馬との埠頭でのデュエルの後、学園から姿を消してしまいました。あのとき、あのデュエルをしていた遊馬とアストラル。あのデュエルを見ていた私と璃緒さんとシャーク。それ以外の誰もが彼のことをきれいさっぱり忘れてしまっていたのです。アリトは水泳の授業で飛び込み台から飛び降りて見せたりして、あんなに目立っていたというのに。

 私は今、遊馬の家に来ています。明里さんや春さんなら、遊馬のことを覚えているかもしれない……そう一度は考えました。けれども、もし尋ねて、覚えていなかったとしたら? 家族が行方不明になっているのにも関わらず、遊馬の家の近所は普段と変わりません。学校にも騒ぎの噂のひとつも流れてきません。きっと警察に届けも出されていないのでしょう。そう思うと、怖くて、怖くて、彼女たちに確認することなんて出来ませんでした。

 だから私は、こっそりと遊馬の家に忍び込みました。いけないことだと分かっていたけれど、そうしないと私がおかしくなってしまいそうだったのです。私までも、遊馬がこの世界に間違いなく存在していたことを、信じられなくなってしまいそうで怖かったのです。

 遊馬の家には、前に入ったことがあるとおりの、記憶のままの遊馬の部屋がありました。机の上には開かれたままのノートや教科書。床には脱ぎ散らかされた服。このまま遊馬がいつ学校から帰ってきてもおかしくないその様子に、私は何故か悲しくなって、頬を涙が伝い落ちていきました。

 天井からぶら下がった紐が目に入りました。その先にある屋根裏部屋を、遊馬はいつも自分の秘密基地のように使っていたことを思い出して、私はそこへ繋がるハシゴをのぼりました。

 小さな窓から差し込む夕日の赤が、眩しく私の目に焼き付きました。ハンモックのかけられている向こう側、遊馬のお父さんとお母さんの写真が飾られている横に、見慣れた金色のペンダントが、私に気付いてくれとばかりに輝いていたのです。

 足音を隠すことも忘れて、私は咄嗟に駆け寄ると両手で皇の鍵を手にとっていました。

「アストラル!? ここにいるの?! アストラル!!」

 願うように叫ぶと皇の鍵の中から淡い光が立ち上り、青白い人のかたちを作り上げました。

『小鳥』

「アストラル!!」

 涙がぽろぽろとこぼれていきました。希望を掴んだような気がしたのです。だって遊馬が彼を置いてどこかへ行ってしまうわけがないから。

『遊馬が、いないのだ』

 この世のものとは思えないほど、透徹した瞳をどこか遠くへと向けながら、アストラルは淡々と告げました。

『この世界の、どこにも』

 

 

 

 満天の星空だ。上弦の月が静かに光を放つ様を、私はぽっかりと胸に穴があいたような、そんな気持ちで見上げていた。

 以前この場所で、遊馬と共にこの景色を見たのはいつのことだったろう。この世界の時間換算で、それほどの経過はないはずだった。

 あの頃はまさか遊馬が私の前から消えてしまうなんて思っていなかった。当たり前のように、遊馬は私が消えてしまうまで、ずっと共にいるのだと思っていた。

『……外の世界では、そんなことになっていたのか』

 今、私の隣で、赤い屋根の上に座っているのは遊馬ではない。小鳥だ。彼女に無理を言って頼んだのだ。

 あの日遊馬と二人で語ったこの場所に行きたいと。

 遊馬の記憶を持っているのは、確認できている範囲では私と小鳥の二人だけ。小鳥が私を見ることができるようになっていたことと、何か関係あるのだろうか。

「遊馬……いったいどこに行っちゃったんだろう。真月くんも、一緒なのかな」

『真月』

 小鳥の口から出たのは遊馬のクラスメイトの少年の名だ。

『彼も……遊馬と同じ状態なのか?』

 問いかければ小鳥はこくりと頷いた。 

「真月くんもバリアンに狙われてたことあるから……もしかしたら、二人とも、何か事件に巻き込まれたのかもしれない」

 ギラグとのデュエルを思い出す。真月零。彼は出会って間もない頃の遊馬を思い出させる低いデュエルタクティクスで、遊馬の足を引っ張るばかりだった。それでも遊馬は決して真月を見捨てることなく私がいなくても彼を守りきったのだが、私は少しばかり彼に引っかかるものを感じていた。

 彼からは、遊馬のように「力が及ばない相手に勝ちたいと思う欲求」が感じられなかったのだ。

 私が今まで遊馬と共に観察してきたたくさんの人間、彼らとはかけ離れた、違和感のようなものを私は彼に抱いていたのだ。

 遊馬は彼を友だと言った。だが彼から遊馬に向けられる感情は果たして、小鳥や鉄男たち、カイトやシャークが遊馬に向けるような、暖かく素晴らしいものであっただろうか。

 ……私には、分からない。

 胸を埋める虚無感ばかりが、すうすうと冷たいらしい夜の外気を通していくばかりだ。

「ねぇ、これからどうすればいいのかな、私たち。遊馬をどうやって探せばいいのかな」

『……わからない』

 それは悲しいほどに認めたくない事実であった。

『私は遊馬の力を借りてこの世界に存在していた。遊馬がいない今では、この皇の鍵の中から離れることも出来ない……こうしてキミに、鍵の外で会えていることさえ奇跡のようなものだ』

「でも、アストラルだって遊馬に会いたいでしょ?!」

 小鳥の悲痛な叫びに、頷くことしかできない。

 もし遊馬の失踪がバリアンの仕業だとしても、今まで私たちは彼らのしかけてきたアクションを受けて、それから対処するという方法をとってきていた。こちら側からバリアンの行動を知る術はない。もし彼らが動いてこなかったとしたら?

 ……私には、何も出来ない。

 彼らの目的のひとつだろうナンバーズは未だ私とシャークの手の中にあるのが不幸中の幸いである。ナンバーズがある限り、彼らが再び現れる可能性は高くなる。だが、もし彼らが現れたとしても、遊馬がいない今、私に出来ることはあまりにも少ない。

『遊馬……』

 気付けば名を呟いていた。

 こんなにも彼のいなくなった穴は大きい。かつて私が消えかけたとき、遊馬は懸命に闘い私を取り戻してくれた。とてもうれしかった。だが私が逆にその立場にある今……どうして私は立ち尽くすことしか出来ないのだろう。

 夜空を見上げていなければ、涙がこぼれてしまいそうだった。

 遊馬の大切な友人の前で。私が涙を流せば、きっと彼女を不安にさせてしまうだろう。そんな真似はできないというのに……。

 きらり、一筋の光線が夜空を駆ける。流れ星が消えてしまう前に願いをかければ夢が叶うのだと教えてくれたのは遊馬だった。非科学的な迷信を、信じてみようと縋るように思ったとき、未だ消えることなく光を強めるそれは決して流れ星などではないと気付く。耳をつんざく高い音を立てて近づいてきたその飛行物体の正体は。

『カイト……!』

 相棒のオービタル7をその背で羽ばたく翼とした、遊馬と私の好敵手だった。

 上空で私と目があったカイトはゆっくりと私たちと同じ高さまで降りてくる。

「アストラルと……」

「み、観月小鳥」

「……小鳥。遊馬はどうした」

「!!」

 小鳥が息を呑む。カイトは覚えているのだ。遊馬のことを。やはりフェイカーとの闘い……バリアンの使者とのはじめての直接対決の場にいたものは、遊馬の記憶を持っている。

『遊馬は、いない』

「なんだと?」

『この世界のどこにも……いないんだ』

 言葉に詰まった私の代わりに、小鳥がカイトに私たちの把握している情報を伝えてくれた。カイトは一週間前に、フェイカーの研究施設で以前バリアンの使者がこの世界に現れたときと似た時空間の歪みを関知していたらしい。その後ハートランドシティのどこにも、バリアンの力の関与したデュエルが行われた形跡を捕捉することはなかったが、警戒のため今のように街の見回りを続けていたということだ。

「……話は分かった。一週間前に遊馬が消えたとなると……俺が歪みを感知した時間と一致する。バリアンが関与している可能性は高いな」

「どうすれば……」

「Dr.フェイカーの力でも、バリアン世界にこちらから干渉するのは難しい。……貴様も知っているだろう。どれだけの代償をフェイカーが払ってバリアン世界からの力を手に入れたのかを。……俺たちに出来ることは、奴らの襲撃に備えることだけだ。また反応を関知したら俺が出る。何かあれば、俺に連絡しろ。いいな」

 オービタル7から光が伸び、小鳥のDゲイザーにカイトのアドレスを転送する。

「アストラル、お前の推測が正しいとするならば、俺から凌牙には話を伝えておこう。あいつはナンバーズを今も持っている……遊馬がいない今、奴が狙われる可能性も高くなるだろうからな」

『……助かる。カイト』

 カイトの目が真っ直ぐに私を射抜いていた。厳しく険しい表情。だがその瞳の奥には間違いのない、遊馬への想いが秘められているように私には感じられたのだ。それが、私は嬉しかった。

「小鳥、お前にはその鍵を預けておく。絶対になくすな」

「分かってる」

 ぎゅっと鍵を握りしめる。小鳥はデュエリストではない。彼女が私を匿うことで、バリアンの目をくらます作戦だ。

「……俺は戻る。親父にも協力を頼んでみる」

『カイト、ひとつ頼みがある』

「なんだ」

『小鳥を家まで送っていってやってくれ。この家にも……すでに遊馬の存在は消えている。彼女はわざわざ不法侵入してまで、私を見つけてくれたのだ』

「不法侵入って言われると、まあ、そうなんだけど……」

 小鳥が苦笑するのに、カイトは感心したように頬を緩めた。

「なかなか大胆な女だ」

「え、ちょっ、うわぁ!」

 屋根の上の小鳥を抱え上げると、カイトは夜空に再び舞い戻る。

「カイトサマ、コンナ女ニソンナ丁寧ナ扱イハイリマセン! ブラ下ゲテヤレバイインデスヨ!」

「俺に命令する気かオービタル」

「ソ、ソウイウワケデハ……」

「皇の鍵を落とすなよ」

「だったらこんなにスピード出さないでよ!」

 彼らの会話は日常じみていて、少しだけ私に、すっかり慣れてしまっていた、遊馬と過ごしたような穏やかな気持ちを思い出させてくれた。

 力が抜ければどっと疲れが押し寄せてくる。皇の鍵の奥へと逃げ込むように私は泳いだ。

 皇の鍵の中の飛行船で休んでいれば、その内部にセットされたナンバーズのひとつが輝いた。No.96、ブラック・ミスト。私と似た姿をとった彼が私の目の前に姿を表す。

『最悪のシナリオを教えてやろうか』

 No.96はあざ笑うように私を見下ろした。

『九十九遊馬はバリアンに連れ去られた。あの真月ってやつがバリアンの刺客だ。お前はまんまとだまされて、大切な大切な使命を果たすための器を奪われちまったってわけだ。せっかくデュエルの方も見れるくらいまでは成長させたのにな。俺たちの努力は水の泡ってわけだ』

『私は遊馬をもう、ただの器だとは思っていない』

『どちらにせよアイツはもういない。さっさとそこの女の身体でも奪って本来の使命を果たそうぜ、アストラル? 俺たちが身体をもって力をふるえば、バリアンなんてすぐにおっぱらえる』

『黙れ』

 No.96を無視するように、淡々と一言だけ言えば彼は、鼻で一度だけ笑っていつものしつこさはどこへやら、あっさりと引き下がっていった。そのときの私がどんな顔をしていたのか、知ることが出来たのはNo.96、彼だけだろう。

『遊馬……』

 まどろみの中、呟く。それはとても近かったはずなのに、とても遠くなってしまった言葉。

 

 

 

 部屋の中央には巨大なディスプレイが設置されており、オービタル7がせわしなくキーボードをタッチしている。遊馬がいなくなったと知ってから、もう何日が経っただろうか。未だにバリアンの力が原因だろう時空間の歪みも察知されず、デュエルによる事件も発生していない。

 ハートランドシティは実に平和だ。本来ならば喜ぶべきことなのだろうが、今の俺は、そうすることが出来なかった。

「兄さん」

 いつのまにかハルトが部屋の中に入ってきていた。手にはホットチョコレートの注がれたマグカップ。

「ハルト……」

「兄さん、少し休んだ方がいいよ。父さんだって、協力してくれてるんだし」

 差し出されたマグカップを素直に受け取り、一口飲む。ホットチョコレートの甘さが、それだけで身体中に染み渡る。……自分で思っていたよりもずっと、身体に蓄積された疲労は大きかったようだ。

「僕に、力が残っていたらよかったのに」

「ハルト?」

 うつむいたハルトが今にも泣きそうな顔をしていたのに、気付かないわけがない。遊馬の存在はハルトにとっても大きい。ハルトは遊馬に恩義を感じている。彼がいなくなったことはショックに違いない。

「……僕は、あのとき、バリアン世界からの声をきいて、アストラル界を攻撃していたんだ。兄さんや、遊馬たちが僕を助けてくれたから、もうその力はなくなってしまったけれど……もしその力が残っていたら、もし遊馬がバリアン世界にいたら、声がきけて、遊馬を助けにいけたかもしれないのに」

「……ハルト」

 思わず俺はハルトの小さな身体を抱きしめていた。ハルトのためではなく、それは俺自身のためだったのかもしれない。そうしなくてはいられなかった。

「大丈夫だ……ハルト。あいつはただでやられるような男じゃない。お前だってそのことは良く知ってるだろう? 俺が必ず……取り戻してやる」

「遊馬は……兄さんの大切な友達だもんね」

「お前の、だろ」

「ううん、僕たちの、だよ」

 ハルトの笑顔を取り戻すと決めた。それに少なからず、不本意な場面もあったが力を貸してくれたのは九十九遊馬だ。そして今は、ハルトの笑顔を守り続けると決めた。遊馬を取り戻さなければ、きっとそれは叶わない。

「……遊馬」

 名を呼べば、あいつがどこからか押し掛けてきそうな幻を見る。それでも決してそれは現実ではないし、ハートランドシティを中心に、世界じゅうを監視するレーダーも、ほんの小さな波紋のひとつさえも感知することなく、ただ定期的な明滅だけを繰り返すのだった。

 

 

 

 真月と一緒に、俺はバリアン世界に来ていた。俺にしか出来ないことなのだと言われた。真月に頼まれて、断れるはずがなかった。あいつは、あいつの使命を持って遙か遠い俺たちの世界に来て、一人で闘っていたのだ。その様子はアストラルに似ていると俺は思ったんだ。

 旅立つ夜は月の無い夜だった。真月といつも二人きりで秘密の打ち合わせをするときは、俺の家の屋根の上だった。アストラルのいる皇の鍵を部屋で留守番させて。真月は真剣な目で俺に語りかけてきた。

 バリアン世界に共に行ってくれ。そこで一緒に闘ってくれ。この世界を、アストラル世界を、悪のバリアンから守るために。

 もう戻れないかもしれない、危険な闘いになると真月は俺に言った。来なくてもいいのだと言ってくれた。でも、真月の横顔は、どこか寂しそうで、仲間を欲しがっているようで、真月の使命を知っていて、真の友達であることを約束した俺が一緒に行って、真月を守ってやらないとと思った。

 今俺は何色をしているか分からない空間の中で、あたたかいんだかさむいんだか分からない風を浴びている。隣には真月がいる。それは分かる。手をつないでいる。

「決して離すな、遊馬」

 真月の、バリアンズ・ガーディアンとしての低い声が告げる。

「離したら、はぐれてしまう。キミを置いていってしまう。だから絶対に離すな」

「分かってる。俺だって絶対にお前をはなさねぇ。お前を置いていくことなんてしねぇ」

「遊馬……ありがとう」

 そう笑った真月の顔を見て、一緒に来て良かったと本心から思った。

 それから、どれだけの時間が経ったかわからない。一瞬だっただろうか。永遠だったろうか。ぐちゃぐちゃのミキサーにかけられたみたいに身体の感覚がふわふわと浮くような、かき混ぜられてぼろぼろになるような、痛いような、心地良いような、とにかく、感覚が、感情が、なにがなんだかわからなくなっていく。

「遊馬、大丈夫だ。怖くない」

「こわい……? こわいって、なんだ?」

 こわいという真月の発した言葉の意味がわからなかった、うれしいのか、かなしいのか、つらいのか、たのしいのか。数々の言葉を真月は俺になげかける。でも俺は真月が何を言っているのかがわからなかった。

 真月の顔はいつの間にか、人間のものから、ギラグやアリト、ミザエルのものに似たバリアンの姿へと変わっていた。

「それがお前の本当の姿、なんだな」

「そうだ。驚いたか?」

「おどろく? なんだそれ」

 表情の見えない真月のバリアンの顔が、笑ったような気がした。真月の手にぎゅっと力が籠められるのを感じて、俺は俺の手をみた、身体をみた。おかしい。真月はこんなに大きかっただろうか。彼のバリアンとしての真の姿は大人だったのだろうか。警察みたいな立場だと言っていたから、そうなのかもしれない。警察は大人の仕事だから。

「遊馬。バリアン世界は高次のエネルギー世界。人間の身体はこの世界では耐えられない」

「聞いたことあるぜ、それ。トロンっていうやつが、前にこの世界に来たことがあって……大人だったのに、子供の姿になっちまって、顔も、半分、なくなっちまってて」

「そうだ。だから遊馬。キミの身体にも、同じことが起こっている」

「へえ」

 おどろきもきょうふも俺は何も感じなかった。ただ事実として真月の言葉を受け止めるだけだ。

「たくさんのものを捨て、忘れなければ、バリアン世界にたどり着くことは出来ない。遊馬。本当に、キミがしたいことだけは忘れないようにするんだ。トロンが……バイロン・アークライトが、復讐を忘れずに生還を果たしたように」

「復讐だなんてそんなこと……俺はただ、守りたいだけだよ」

「そうだな遊馬。守るんだ」

「守るんだよ。……を」

「何を」

「何って、だから、守るんだよ」

 俺は守るんだ。ありとあらゆる驚異から、守るんだ。

「そうだ、遊馬。一緒に守るんだ」

「守る……」

「私の使命も同じだ。バリアンズ・ガーディアン。バリアン世界を守るもの。一緒に守ろう、遊馬」

「ああ、俺が、守る」

 俺にとって大切なものは、守ること。

 たったひとつ、俺に残った感情。

「バリアン世界を、共に、守ろう。遊馬。いや……」

 そのときもう、俺は人間の姿をしていなかったことに、気付かなかった。

 

 

 

 出会い方は、最悪だった。

 学校外でも有名な学園一の札付き。そんなやつに絡まれて、大切な親の形見を壊されて、それでも絶望に打ちひしがれることなく、プライドをかけてデュエルをした。ナンバーズなんてわけのわからないカードが出てくるし、アストラルなんていう幽霊も出てくる。そんな中で、遊馬は俺とデュエルして、ヘボなりによく出来たコンボで勝利を納めたのだ。

 その後は廃業したゲームセンターで、不良と一緒に落ちぶれている俺に、遊馬はデュエルを望んだ。逆に完膚無きまでに打ちのめしてやった。もう二度と関わるなと忠告を受けたのに、遊馬は犯罪に巻き込まれそうになった俺の元に現れて、俺の漂っていた深海の闇に、あたたかな光を差してくれたんだ。

 カイトと闘って、魂を抜かれた俺の元に遊馬は駆け寄ってきた。病院に運んで、カイトとデュエルをして、俺の魂を取り戻してくれた。

 その後はWDCだ。復讐心で前が見えなくなっていた俺を遊馬は何度も止めてくれた。デュエルは復讐の道具ではない。そう説いてくれた。操られていた俺を、正気に戻そうとぼろぼろになるまで闘ってくれた。

 バリアンの驚異から、共にこの世界を、アストラルを守ろうと遊馬とカイトと俺、三人で決意をした。バリアンの手に落ちた璃緒を救うために遊馬も奔走してくれた。スポーツデュエル大会なんてバカみたいなものにもペアを組んで、少しでも楽しいなんて、思っちまって。バリアンの恐怖にうなされる遊馬に我慢ができなくなって、無理矢理デュエルをしかけて、どうにかいつもの調子に戻させたっけ。

 あのときお前は言っただろ。「アストラルと一緒に闘う」って。「アストラルと一緒に前に進みたい」って。俺はお前のその言葉が聞けてうれしかったんだ。俺の好きな、憧れさえ抱くべき遊馬の瞳は、そういう決意に真っ直ぐに輝いた、きれいな色だったから。

「ごめん」

 小さく遊馬の声が聞こえた。けれど俺の前には、大好きな遊馬の瞳の色をしたもやもやとした霧状の何かが形を保てず漂っているだけだった。遊馬の姿はどこにも見えない。

「そうだよ、そうだったよな。シャークが俺に教えてくれたんだもんな。一緒に闘うってこと。守ったり、守られたりするだけじゃなくて、一緒に闘うってことが、俺も、アストラルも、本当に願っていることなんだって」

「もう忘れたのかよ、バカ野郎が」

「……忘れてた。俺、忘れっぽくてさ」

「じゃあもう一度覚えろ。そして今度は、忘れるな」

 遊馬の色をした霧に、頭をなでてやるように手を動かせば自然と笑みがこぼれた。本人を目の前にしていないときはこんなに素直に気持ちが出せるのに。どうして遊馬本人には、直接本心をそのまま言うことができないのだろう。

「……ありがとう、シャーク」

 泣きそうにぐずぐずした遊馬の感謝の声。それを最後に過去の映像は途切れ、霧も消えて無音と闇の世界に放り投げられた。

 それにしても、どうしてこんな記憶を大量に思い出したのだろう。まるで走馬燈みたいじゃないか、と笑えない冗談を思いついて、俺はそこで気付く。今見た記憶は、俺の中で鮮明に何度も繰り返された遊馬との記憶とは

少し違っていた。視点が違うのだ。今、俺が見ているのは俺の記憶ではない。きっと遊馬の記憶だ。

 どくん。横になっている身体が悪寒にふるえる。それははじめてバリアンが、この世界にやってきたときの感覚にとても似ていた。しかし、それ以上に恐ろしく、寒気がするような、それは。

 眠っていたベッドから飛び起きて、部屋の扉を乱暴にあける。隣の部屋にいる璃緒の様子を見に行こうとしたのだが、あいつは既に、俺と同じように廊下に出ていた。

 きっと璃緒も同じような夢を見たのだろう。

 訊かなくても、分かった。

 遊馬がいなくなって、一ヶ月以上が過ぎた。カイトから連絡を受けたときは、一週間もそのことに気付かなかった自分を呪った。その後は、事実を知ってからも待つことしかできない自分が悔しかった。璃緒のように不思議な予知能力があるわけでもない。カイトのように異世界科学に通じているわけでもない。ただの中学生にすぎない俺に出来ることはあまりにも少なくて……見るからに落ち込んでいるアストラルや、小鳥を励ますこともできず。ほんのわずかな可能性を探して、バイクでハートランドの街を駆けまわって遊馬を探すことしかできなかった。それでも、バリアンの痕跡すらも何も、見つけることはできなかった。

「凌牙……」

 璃緒が眉尻を下げる。結局苛立ちから荒れてばかりだった俺に、璃緒はここしばらく何も言わないままだった。璃緒は遊馬のことを覚えていた。それは彼女がバリアンに関する予言をする力を持っていたからかもしれない。その力を頼りにしたくて、璃緒に厳しくあたってしまったこともあった。今では後悔している。そんなことをしても、遊馬が戻ってくるわけがなかったのに。

「……夢を見た。遊馬との……思い出。遊馬の、記憶だ。きっと遊馬が落とした記憶が、俺たちに、届いたんじゃねぇかって」

「……随分ロマンチストなのね、凌牙は」

「お前だって、分かってるんだろ」

 璃緒は俺なんかよりもずっと、こうしたオカルトじみた現象には敏感なのだ。

 力が抜けて、倒れかけた身体を璃緒が支えようとしてくれたとき、璃緒の身体がびくりと跳ねる。赤い瞳がどこか遠くを見、表情が顔から消える。

『来る』

 璃緒の口から発される、誰かの声。璃緒の予言。バリアン世界からの使者の来訪を告げるそれは、きっと俺が、璃緒が、そしてどこかでカイトも、アストラルも、考えている悪い予感を現実のものとすることなのだろう。

『新たな力が……けれど既に知っている力が……彼が、来る。待ち望んだものが……けれど決して望まない姿となって……』

 目を閉じた。暗闇の中で、ぎゅっと震える拳を握る。恐れている場合じゃない。床を踏みしめる。しっかりと立ち上がり、自分の意識を取り戻した璃緒を支える。

「凌牙……」

「言われるまでもねぇ。覚悟なんてとっくに、できてんだよ!」

 Dゲイザーにデュエルディスク。そしてデッキを手に、凌牙は駆ける。新たなバリアンからの刺客に立ち向かうため。遊馬と誓ったように、この世界を、アストラルを、あいつの留守中に、守るため。

 璃緒の感を頼りに、バリアンの使者の現れただろう場所に向かう。そこにきっと奴はいる。バイクを駆れば、いつの間にか隣にカイトも走っていた。遊馬の家の前を通れば、小鳥が皇の鍵を持って駆けていた。

 今度は俺が、俺たちが、あいつを助ける、番なんだ。

 

2013.01.29

こうはなってほしくないな!という願掛けの気持ちで書きました(酷)

Text by hitotonoya.2013
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