クリムゾン・フィアー

 WDC準々決勝、その舞台の一つマグマ・フィールド。フィールド魔法マグマ・オーシャンがあらかじめ発動されたフロアは、ARヴィジョンのリアリティを増すために室温もかなり高めに設定されている。掌にじっとりと滲んでいく汗。眼前を生きた蛇のようにうねる炎はまるで本物で、頬の古傷がひりひりと傷んだ。

 コースターのブレーキ音が響く。IVはゆっくりとその音のする方を向く。降り立った青髪の少年の決意と闘志を秘めた佇まいに、重なる影をIVは見た。好戦的で挑発してくる目つきや眼光は、実に彼女のものによく似ていて、濃い血の繋がりを思い知らされる。

 IVと凌牙、ふたりの間に渦巻く炎。炎がうねる度に思い出す。あの日、IVが使ったカードから放たれた炎に包まれていった、勇ましい少女のことを。

 

 

 一年前、WDCと同じくハートランドシティで開催された、デュエルモンスターズ全国大会。その決勝戦、神代凌牙との対戦前にIVはひとつやらねばならぬことがあった。異世界を旅し子どもの姿になって帰ってきた父親だったもの、トロンの指示に従って、凌牙の双子の妹である璃緒とデュエルすること。何故トロンがそんなことをIVに指示してきたかは分からなかった。この全国大会で優勝し、プロデュエリストとなることがIVに与えられた一番の任務だったはずだ。だが璃緒は大会でIVと当たる前に敗退してしまっていた。彼女の挑んだ準決勝の相手は、決勝に進出した兄・凌牙だったのである。IVの、一家の復讐計画に璃緒とのデュエルが必要になる意味がIVには分からないままだった。

 家族と別れ、ひとり会場の廊下を歩く彼女の後ろ姿を見とめながらIVは乾いた唇を舐める。そうして人好きのする笑顔を貼り付け、「すみません」、と璃緒に声をかけるのだ。長い青髪が振り返る拍子にふわりと揺れる。勝気につりあがった赤い瞳が印象的な少女だった。

 口実はこうだ。「優勝候補と噂されていたあなたと是非闘いたいと思っていた。この大会が終われば私はこの町をすぐに離れなければならないので、今、あなたとデュエルをしたい」。

 兄の凌牙と共に、璃緒もまたこの大会の優勝候補筆頭と持て囃されていた。双子の強豪デュエリストの片割れ。トロンの指示とは関係なく、一決闘者として、IVには確かに彼女とデュエルしたいという気持ちがあった。

 璃緒はまだ幼い少女ながら、れっきとした決闘者の目で鋭くIVを見定める。IVは笑顔を絶やすことはなかったが、二人の間に漂うのは張り詰めた空気。暫しの無言の後、璃緒は頷いてIVの目をじっと見据えて言うのだった。

「挑まれた勝負から、逃げるわけにはいきませんもの」

 璃緒はIVとのデュエルにひとつ条件をつけた。会場の外で、人目につかない場所でデュエルをしたい、と。

 ハートランドシティの地理に未だ疎いIVは璃緒の後ろをついて歩く。彼女の案内で辿り着いたのは会場近くの工事現場の傍。人気のない路地裏だ。くるりと踵を返して少女は振り向く。長い髪と桃色の服の裾が揺れる。

「どうして今、私とデュエルをしようと思ったのですか?」

 今更な質問にIVは目を円くする。

「この後すぐに、決勝戦……あなたと、私の兄のデュエルがあるでしょう?」

「それは、先程も言ったように」

「どうしてわざわざ私にあなたのデッキ内容をバラすようなマネを? もし私が凌牙にあなたのデッキの内容を教えれば……あなたは不利になるでしょう?」

 真剣な紅の瞳に射抜かれて、IVは笑った。この璃緒という少女は、決闘者に間違いなかった。IVが自らの意志で闘いたいと思った通りの、期待通りの気高い精神とプライドを持っている。

「……わざわざ私に忠告してくれるあなたが、そんなことをするとは思えません」

 それは演技でもなんでもなく、IVの本音だった。

「そう?」

 くすりと少女の口元が綻ぶ。

「なら、いいわ。遠慮無くデュエルできる。私のせいで凌牙が疑われることがあったとしたら、絶対にイヤだもの」

 璃緒は兄を心配したのだ。もしIVが凌牙に負けた際に、今から行われるデュエルの存在を誰かに知られることがあれば、若しくはIVが言い訳にすれば、凌牙の勝利は一転して疑わしいものに変わる。この大会では対戦相手同士がデュエルを見ることができないように日程が調整され、互いの使用デッキを知らぬ状態で行うようにルールが設定されている。有名なデュエリストならば使用デッキは知られているだろうが、IVはこの大会がこの国で初参加の大会である。普通ならば知り得ない彼のデッキ内容を予め知ることができれば、対戦時には圧倒的に有利に動くことが出来るだろう。

「だからわざわざ、こんな人目につかない場所を選んだんですね」

「ええ」

 腰のポーチからデッキを取り出し、璃緒はデュエルディスクにセットする。オートシャッフル機能が働き、高速でデッキがシャッフルされていく。

「私も、強い人とデュエルしたかったの。準決勝じゃ凌牙に負けてしまったけれど……こんなところで、決勝にまで進出するほどの方とデュエルする機会が持てて光栄です」

 おとなしく可憐な外見とは裏腹に、璃緒の考えは闘いを求めてやまない戦士の、決闘者のものだ。闘志に満ちて活き活きと輝く瞳はとても美しいと思えた。

「私に勝てないようでは、凌牙には勝てないわよ」

 璃緒が左腕を伸ばすと同時に展開されるデュエルディスク。IVもまたデュエルディスクを展開させる。

「なかなか面白いお嬢さんだ。嫌いじゃないぜ」

 演技がかった口調を忘れ、IVは思わず素を出してしまう。Dゲイザーを装着し、ARヴィジョンをリンクさせる。五枚の手札を右手に持つ。それは剣。左手のディスクを構える。それは盾。

「「デュエル!」」

 重なって響く声、交差する赤い双眸。

 彼女とならば、決闘者同士の純粋なデュエルが出来るとIVは思っていた。それは、暇つぶしにしては素晴らしい時間が過ごせるのではないかと思っていた。

 それなのに。

 ……璃緒はIVの魔法から放たれた炎に焼かれることになってしまった。

 兄の凌牙は、璃緒の危惧した通りに、IVのデッキ内容を事前に知るという不正を疑われ、デュエルの表舞台から追放されることになってしまった。

 

 

 璃緒はIVのことをどう思っているのだろうか。

 神聖たるデュエルを傷つけられ、自らの身体を傷つけられ、双子の片割れの兄のプライドまでをも傷つけられ。

 彼女に謝罪したくて、IVはその後何度も何度も彼女の入院している病院を訪れた。しかしいつ行っても、璃緒はベッドに横たわったまま、目覚めることなく昏々と眠り続けるだけだった。幾重にも巻かれた包帯の下に隠された瞳が再び開かれたとき、彼女はどんな目でIVを見るのだろうか。

 考えるのが恐ろしかった。

 あの時交差した瞳は間違いなく互いへの信頼のようなものがあったはずだった。それでも自信をなくし不安を抱いてしまうほど、IVが璃緒にしてしまった行為の罪は、重い。

 IVは璃緒に許して欲しかった。あのデュエルの続きをしたいと思っていた。

 だからこそ……兄である凌牙との再戦が、怖かったのだ。

 一年前の決勝戦では、すっかり精神の安定をなくした状態でデュエルする凌牙の様子は璃緒のものとは似ても似つかなかった。怯えるように、不安を滲ませた青い瞳でカードをプレイする様は、IVやその家族に陥れられていたとはいえ落胆さえ抱いてしまうほどだった。これがあの、勇ましく美しかった少女の兄なのかと。凌牙はデュエリストとしては最早抜け殻でしかないと、IVは失意に笑ってしまうほどだった。

 だがその後、落ちぶれていったはずの彼は、今ではこうしてIVの前に立っている。世界じゅうから集まった何人ものデュエリストを倒し、準々決勝の舞台でIVと対峙するまでになっている。闘志を秘めた瞳でまっすぐにIVを見つめ、挑発的に笑ってまでみせている。

 原動力が復讐心とはいえ、IVに対する凌牙のデュエルは一年前とは打って変わったものだった。IVの張り巡らせた策をかいくぐり、魔法や罠を駆使して喉元を食いちぎろうと襲い掛かってくる。その眼差しの鋭さや、カードをプレイする立ち振る舞いは、璃緒を思い出させて仕方がない。彼は本当に彼女の双子の兄だったのだ。

 待ち望んだ璃緒との再びのデュエル。それはあのときとよく似た炎の中で行われた。燃え盛る炎の海にIVは自嘲する。どうしてこの場所を選んでしまったのだろう、と。凌牙を陥れるための罠だったはずなのに、舞い踊る炎にすっかり翻弄されているのはIVのほうだ。そして璃緒がIVに向ける目は。

 IVは首を横に振る。否定するように。目の前にいるのは璃緒ではない。凌牙だ。璃緒ならきっと分かってくれると思っていた。自分が不本意のまま彼女を傷つけてしまったことを。父の期待に答えるためにしたことなのだと。凌牙が向けてくる復讐心はトロンとIVが意図的につくりあげたもの。璃緒は彼とは違うのだと。

 そう、信じて、言い聞かせて、デュエルをした。凌牙の向こうにいる璃緒を追い求めるように、カードをプレイし、追い詰めた。もう少しで彼女に手が届くはずだった。あの時と同じように背中を向けた彼女に声をかけて、デュエルをしようと誘えるはずだった。

 膝を屈した凌牙が立ち上がる。絶体絶命の状況を作り上げ、もう負けるしか道は残されていないはずだったというのに、凌牙は復讐心に満ち満ちて憎しみでぎらついた瞳でIVを見る。笑う。

 IVには見えた。笑った璃緒が、目元に巻かれた包帯をはらりとほどく幻が。

 幻が凌牙に重なって、とけていく。次の瞬間には凌牙の青かった瞳が真紅に染まりIVを射抜いていた。息を飲むほどに美しいその赤は璃緒のものだった。復讐心、憎しみ、殺意、そんな負の感情のたっぷり籠った輝きを宿して赤い瞳がIVを睨む。

 ……璃緒が、復讐しにきたのだ。

『私たち二人を傷つけたあたなを、私は絶対に許さない。復讐してやる。復讐を、果たしてやる!!』

 璃緒の声が聞こえた。凌牙の姿をしていたものは璃緒だったのだ。璃緒はずっとIVを恨んでいたのだ。追いかけて追いかけて復讐を果たしにきたのだ。あのときと同じ炎の中で。

 赤い瞳は容赦なく、IVの心臓を貫いていった。

2012.11.28

IVにとっては「璃緒が凌牙に似てる」じゃなくて「凌牙が璃緒に似てる」んだって気づいた衝撃から。決闘者なIVさんが好きです。

Text by hitotonoya.2012
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