あの日から毎晩同じ悪夢を見る

 あの日から毎晩同じ悪夢を見る。

 死んだ魚のような目をした神代凌牙が床の上に投げ出されながら八雲を見ている。曇ったレンズは視線の先にいるはずの八雲興司を見ていない。ぱっくりと口を開けてまな板の上の魚みたいに只々捌かれる時だけを待っている。そんな凌牙に八雲は手にした包丁を勢い良く振り下ろす。それでも凌牙は一言の悲鳴もあげずに、血まみれになった八雲の向こう側にある眩しい光だけを認識して生きているのだ。

 ……絶望と共に目を覚ます。揺れるレースのカーテンから漏れる光が瞼を貫いて網膜を刺激する。ぐしゃぐしゃに乱れて汗やら体液やらが染み込んでいるはずのシーツはどこにもなかった。同じベッドで寝ていたはずの凌牙の姿もなかった。綺麗で真っ白なシーツの上に八雲は横になっている。身体を起こして窓の外を見る。靡く洗いたてのシーツは太陽の光を反射して、眩しい。

「凌牙くんはどうしたのかしら」

 シャワーを浴びて、着替えて、食堂に向かう廊下で八雲は若い女の先生にそう声をかけられた。八雲と凌牙は歳が近い同性ということもあり、同じ部屋を割り当てられている。孤児院の中でもあまり他人と会話しない凌牙だが、八雲なら何か知っているのではないかと考えたのだろう。彼女は不思議そうに首を傾げて言う。

「最近毎日誰よりも早く起きてきて、自分のシーツを洗っているの」

 食堂の入り口から、隅のテーブルに腰掛けて朝食を摂る凌牙の姿が見えた。彼の身だしなみは八雲よりずっと整っていて、普段と何ら変わりなかった。凌牙の顔が小さく動いて、ちらりと八雲を見る。間違いなく目があった。だがすぐに凌牙は視線を落として箸を動かす。ばつが悪くなったからだとか、気まずかったからだとか、そういうわけで視線が逸らされたわけでは決してなかった。ごく自然な動きは何の不快感も爽快感も八雲に齎さない。ただ、どろどろと粘着く暗い色をしたものが胸の中に貼り付いていく感覚を味わっていた。

「やぐも! やぐも!」

「おはよう、やぐもにーちゃん!」

 子どもたちがはしゃぎながら八雲の手を引っ張ってくる。女の子たちがもう八雲のぶんの配膳を済ませてくれている。凌牙とは対角線の席で、八雲はたくさんの子どもたちに囲まれて朝食を摂るのだ。

 凌牙は明日、この家を出る。

 

 

 ハートランドシティデュエル大会。決勝まで進んだデュエリストのデッキを盗んだ罪で凌牙は三位入賞という成績を取り消され、今後の公式大会への出場資格が剥奪された。凌牙はあまりにも素直に罪を全て認めた。取り調べや、今後の処分について決定が下されるまでにかかった時間はほんの僅かだった。八雲が決勝戦に臨んでいる間に全ては決まっていたのだ。

 孤児院に帰ってきた凌牙は八雲の優勝祝いのパーティに出ることは許されなかった。子どもたちが飾りつけて、先生たちが腕を奮った料理が並ぶ笑顔の溢れた部屋から隔離されて、凌牙は院長先生直々に叱られていた。

 最近孤児院の中でもまるで子どもじみたイタズラが多いとは思っていたが、どうしてデュエル大会でまでそんなことをしてしまったのだ、と院長は頭を抱えて唸る。

 責められ嘆かれる凌牙は、しかし弁解のひとつもせず俯いたまま、周囲が勝手に解釈し投げかける言葉を逃げもせず受け止める。否、自ら進んでぶつかりに、傷つきにいっている。そうして彼の瞳から生気が失われ死んだようになる様を、八雲は遠くからじっと見つめていた。じんわりと、額と手のひらに気持ちの悪い汗を滲ませながら。

 その夜、ようやく皆から解放されて部屋に戻ると、ルームメイトでもある凌牙は荷物をダンボールに詰めていた。

「……何、してるんだ」

「……再来週、ここを出ることになった。準備は早いうちにしといたほうがいいだろ。……今まで世話になったな」

 淡々と言う凌牙の胸ぐらを八雲は掴んだ。頭がそうしようと考えたわけではない。身体が勝手に動いていたのだ。

「どうして庇った」

 ギリ、と八雲は歯を軋らせる。握る拳に力が篭る。おかしな話だ。罪を犯したのはこちらのはずなのに何故無実の罪を被った凌牙を責めているのか。震える声が、電気スタンドの灯りだけの点いた薄暗い部屋に響く。

「僕が何をしたのかキミは知ってるだろ」

 凌牙はゆっくりと目を細めた。八雲の手を振り払うこともせず、だらりと両腕を垂らしたままだ。

「……子どもたち、皆嬉しそうだったろ。楽しそうだったろ。お前が大会で優勝して。皆笑顔になった……」

 掠れた声が淡々と紡がれる。綺麗な言葉は八雲には耳障りでしかなく、ちっとも嬉しくも楽しくもなかった。

「お前は何もしてない。八雲興司はデッキを盗むなんてマネはしない。お前は自分の力で間違いなく正しく優勝したんだ。そうだろ?」

「ふざけるな!!」

 乱暴に腕を振り払えば凌牙はどんと大きな音をたてて床に尻もちをつく。倒れた凌牙の顔を八雲は苛立ちのままに殴る。肉と骨の生々しい感触。ぷるぷると拳は震えたままだった。

「凌牙はいつもそうだ……!! どうしてそんなことばっかり言う!!」

 もう一度、殴ろうとするが凌牙に手首を掴まれて止められる。

「止めろ、八雲」

 凌牙の手に込められた力は強いが八雲に痛みを感じさせぬよう加減されていた。

「大きな声出して、ガキたちが起きたらどうする」

 それが暴力から逃れるための言い訳ではないことなど八雲にはすぐにわかった。凌牙は文字通り子どもたちのことを心配しているのだ。子どもたちに他人に暴力を振るう八雲の姿を見せたくない。思い描いた理想のヒーロー像から離れる行為を八雲にさせてはいけない。凌牙はそれだけを考えて八雲に接している。

 不快極まりない。

 八雲は腕を下ろしながらも苦虫を噛み潰す。胸の奥のどろどろしたものが身体中に蔓延っていく。

「……それも、そうだね」

 淡々と感情の篭もらない声を出したはずなのに、それでも凌牙は納得したようだった。

「……少し頭に血がのぼりすぎたみたいだ。ホットミルクでも作ってくるよ。凌牙も飲むかい? 砂糖と蜂蜜、どっちを入れようか」

「何も入れなくていい」

 ふっと、安心したように満足したように微笑んだ凌牙の目は曇っていることに彼自身は気づいていないだろう。

 部屋を出て、静かな台所に立つ。冷蔵庫から牛乳パックを取り出して、ミルクパンに注ぐ。火にかけて、その中の白い液体を八雲は見つめていた。

 頭に浮かぶのは凌牙のことばかりだ。今まで凌牙がどう八雲に接してきたか。全てを否定してやりたくて、全てから逃げたくてデッキを盗んだはずなのに、その結果は八雲の思い通りにはならなかった。

 凌牙の指先からまるで糸が伸びているようだった。蜘蛛の糸のようにねばつくそれは八雲の身体に纏わりついている。

(僕はキミの思い通りの人形ごっこの主役なんかじゃない)

 ふつふつとこみ上げる怒りはまるでミルクパンの中で泡立つ牛乳のようだ。凌牙と自分のぶんのマグカップを出して、その中に熱された牛乳を注いでいく。自分のぶんには一匙の蜂蜜を垂らす。そして凌牙のカップには。ポケットから取り出した、開封済みの薬包紙。その中には白い粉が入っている。内容量の半分は既に使われた後だ。その薬がどこでどういう風に誰に使われたか、八雲は知っている。全てを見ている。凌牙が今まで何をしてきたかを。八雲を庇って、誰に何をされていたかを。その身体にある傷は決して喧嘩でついたものではないことを。

「凌牙……」

 名を呟く声に篭められた感情は、夜の静寂に似合わぬほど激しい。

 

 

「熱いから気をつけて」

 差し出したマグカップを凌牙はなんの躊躇いもなく受け取った。凌牙の中の八雲は飲食物に細工をするような存在ではないだろう。なんの疑いもせず両手でマグカップを抱える凌牙の姿は酷くおかしくて、八雲はその場で笑ってしまいたくなるのを堪える。自分のホットミルクを一口飲む。蜂蜜の甘さが口の中に広がって溶けていく。おいしいよ、とばかりに微笑みかければ、凌牙も特製のホットミルクを飲んだ。ごくり、ごくり、喉が動いていく様を八雲は昏い眼差しで見届けた。効果はすぐに現れる。ポケットに入ったままのくしゃくしゃの薬包紙は空だ。それの元の持ち主が厭らしく凌牙の耳元で囁いた声を覚えている。

 ごとん、と音を立ててマグカップがカーペットの上に落ちた。陶器は割れることはなかったし、凌牙はもうほとんど中の牛乳を飲み干していた。落ちたカップを悠々と八雲は拾い上げてみせる。凌牙の身体はがくがくと震え、「あ、あ」と短い声をあげていた。

 ふたつのカップを机の上に置き、八雲はベッドの淵に座っていた凌牙を冷たい目で見下ろす。恐怖に歪んだ凌牙の顔を見ると清々しい気分になった。

「や、ぐも、これ……っ」

「何だか分かるだろ?」

 ほんの少し力を篭めて肩を押せば凌牙の身体は簡単にベッドの上に沈み込む。彼の脳裏に蘇っているだろう記憶は孤児院に訪れた大人に抱かれたときのものだろう。身体のいうことがきかなくなる薬。組み敷かれ悲鳴を堪えながらもしかし乱れてしまった凌牙の姿を八雲は扉の隙間からずっと見ていた。凌牙が身代わりを申し出ていなければ自分がこうなっていたのだという恐怖と嫌悪感で胸はいっぱいだったはずなのに、それでも目を離すことができなかった。悪い大人が乱暴に捨てていったそれを、八雲は拾ったのだ。どうして拾ったのか、どうしてそれを今までとっておいたのかは八雲自身もわからない。ただ、今はその薬を拾っておいて本当によかったと思う。

『こんな、汚いこと、八雲には、させられない……、あいつは、汚れちゃ、いけないんだ……』

 うわ言のように凌牙が呟いた言葉が頭の中で響く。

 彼が汚いとしている行為を、彼が汚れてはいけないとする八雲興司がしてやるのだ。

 目の前で、凌牙自身に味わわせてやれば、いくら八雲の罪を覆い隠してしまった彼も認めざるをえなくなるだろう。八雲興司は光などではないことを。

「僕はこんなに卑怯で汚いことを平気でやる男なんだ」

 言い放った唇は笑みの形につり上がっていた。

 見よう見まねで八雲は凌牙の服を脱がせ、肌を愛撫していった。首筋に噛み付くようにキスをして吸い付く。真っ赤に染まった痕を残してやる。凌牙はそれはもう激しく抵抗した。汚らしい大人に抱かれるときよりも彼は必死だったように見える。だが仕込んだ薬のせいでまるで力は入っておらず、八雲の行為の邪魔をすることは出来なかった。びくびくと震える身体じゅうに浮いた数々の傷跡。その中に新しく傷を作ってやろうと八雲は凌牙の胸に爪を立て、思い切り引っ掻く。

「うあぁぁっ!」

 闇に浮かび上がる白い喉を反らし凌牙は鳴く。皮が剥け、薄く血が滲む。そのうち膨らんでミミズ腫れになるだろうか。硬くなった乳首に噛み付いてやる。凌牙は八雲の肩を押してのけようとするが無意味だ。

「いぁっ……! やめろ、だめだ、八雲っ、やぐもっ!! 嫌だ、こんなの、だめだっ!」

 心地良い悲鳴が、泣き声が、否定の言葉が浴びせられる中、八雲はついに凌牙の下半身に手を伸ばす。涙でぐしゃぐしゃになった凌牙の顔はどんなときよりも生き生きとして輝いて見えた。このあとに待っている仕打ちを受ければ、きっと八雲の身体中にまとわりついたどろどろしてべたべたしたものが全て綺麗さっぱり消え失せるだろうと思えた。

「やめろっ、八雲っ、こんなことお前がしちゃだめだ、お前が、こんなこと、するわけないっ!!」

 泣いて懇願する凌牙を見下ろして、八雲は鼻で笑ってやる。

「何勝手に夢見てるんだよ。するわけない? 今僕は何してる? してるだろ? キミにこんな『汚れた』ことを!」

「違うっ、八雲はっ」

「違わない!! これが僕だ……これが八雲興司なんだよっ!! 光だ? 汚れちゃいけないだ? 勝手に決め付けるな。これが僕なんだよっ!!」

 思い知れとばかりに薬の影響で既に反応を示している性器を握りこむ。高い悲鳴をあげる凌牙は無駄だといい加減理解しているだろうにそれでも抵抗をやめない。嫌だ、嘘だ、八雲はこんなことしない。八雲は、八雲は。そんなうわ言を嬌声の合間に漏らしながら、きゅっときつく瞼を閉じる。そんな凌牙を八雲は遠慮なく殴った。

「目、開けろよ。しっかり見ろよ。僕を見ろよ。凌牙。……凌牙っ!!」

 凌牙がぼろぼろになっていくにつれて八雲の気持ちは晴れていく。高揚感に満ちてどんどん行為はエスカレートしていく。後孔に遠慮無く指を突っ込んで押し広げたときの凌牙の泣き顔はそれはもう最高だった。ぐちゃぐちゃと響く湿った音も聞きたくないとばかりに凌牙は耳を塞ごうとする。両手を耳栓代わりにしたせいで八雲の動きの邪魔をすることができなくなることにすら彼は気づかなかったのだろうか。凌牙もきっと混乱しきっていたに違いなかった。時折開く青い目が八雲を映しては涙を滲ませ輝いている。

 それはとても魅力的で美しい色をしていた。

 そんな瞳で見つめてもらえたらどれだけ嬉しいだろうか。

「凌牙っ!! 凌牙ぁっ!」

 衝動のまま八雲は凌牙に己の滾りをぶつける。止まらない悲鳴も泣き声も否定も全てが八雲を興奮させる。鼻先が触れ合うまで顔を近づけて、凌牙のとじられた瞼を舌で舐める。おそるおそる開かれた目に、八雲はとびきりの笑顔を映させてやった。

「やぐも」

 懇願するような凌牙の声。今更何を願ったとしても聞く耳など八雲は持たない。凌牙の思いを、妄想を、打ち砕いてやるのだ。

「凌牙。これが僕だ」

 快楽につりあがる唇。腰を押し付け動かす。激しく、激しく、凌牙の痛みなど気にもせずに。そして内側にぶちまける。彼が汚れていると忌み嫌う欲望を。思い切り注ぎ込んだ瞬間の、絶望に満ちてきらきらと輝いた瞳は世界で一番美しい宝石のようだった。

 

 

 ……久々の爽快感と共に目を覚ます。揺れるレースのカーテンから漏れる光が瞼を貫いて網膜を刺激する。起き上がり、八雲は驚きに目を見開いた。ぐしゃぐしゃに乱れて汗やら体液やらが染み込んでいるはずのシーツはどこにもなかった。同じベッドで寝ていたはずの凌牙の姿もなかった。綺麗で真っ白なシーツの上に八雲は横になっている。身体を起こして窓の外を見る。靡く洗いたてのシーツは太陽の光を反射して、眩しい。

 時計を見ればもう起きて朝食を食べなければ学校に遅刻してしまうような時間だった。慌てて飛び起きると身体の汗やらが拭き取られていることにも気づく。それでも気になったのでシャワーを浴びて、着替えると部屋のドアがギィと音を立てて開いた。そこには凌牙がいた。タートルネックの上着にベストを着ていた。今すぐにでも学校に行けそうな格好だった。そこに昨日の乱暴の痕跡がなにひとつ見てとれなかったことに、八雲は動揺する。

「八雲、なに寝坊してやがんだよ。お前が遅刻なんかしたら皆驚くぞ」

 わざわざ起こしに来てくれたのだろう凌牙の優しい言葉に違和感を覚えながらも、改めて昨晩を思い出せば少々やりすぎてしまったと後悔がこみ上げてきて仕方がなかった。

「……凌牙。昨日はごめん」

「昨日? なんのことだ?」

「……え?」

 凌牙の返答に、八雲は髪を整えていた櫛を取り落とした。カーペットの上に落ちる櫛。そういえば、昨日机の上に置いたはずのマグカップがふたつとも無くなっている。

「昨日の夜……僕は、キミを」

「何言ってんだ。ぐっすり寝てたじゃねぇか。悪い夢でも見たんだろ」

 そう呟いた凌牙の瞳は死んだ魚のように濁っていた。

 断崖絶壁から突き落とされたように、八雲は再び絶望の中に叩き落とされた。

 

 

 その日の夜も、その次の日の夜も、八雲は毎晩凌牙を抱いた。痛めつけるように。傷つけるように。だがもう凌牙は悲鳴もあげず泣き声もださず否定の言葉すら吐かずにただ八雲の下でゆさぶられているだけだった。あんなに綺麗に輝いていた瞳は死んだ魚のように濁りきって、八雲を映さない。

 朝がくれば凌牙は疲れきった八雲より早く起きて身体を清めシーツを洗い何事もなかったかのように日常を過ごす。夜の出来事が本当に夢だと思えてしまいそうになる度に、八雲はおぞましいまでの吐き気に襲われるのだ。

「認めない……絶対に認めてなるもんか……っ!」

 決意に拳を握りしめる。夢で済ませてなるものか。大会でデッキを盗んだことと同じにしてなるものか。今度こそ凌牙に現実を思い知らせてやらなければならないのだ。もう時間がない。今夜しか残されていない。

 最後の夜、段ボールの積み上げられた部屋の中で八雲と凌牙はもう十何回目のセックスをした。ギシギシとベッドの軋む音に、されるがままに揺れる凌牙の身体。凌牙は抵抗も最早することはない。彼にとってはこれは悪夢にすぎないのだ。ただ朝を待てばいい。だが今回ばかりはそうはさせない。

 八雲は用意した縄を取り出した。細いがしっかりとした作りの縄だ。それを認めると、凌牙の目の色が変わる。

「それは」

 凌牙の問いを無視して八雲は凌牙の腕を縛り上げる。きつく、かたく、決して解けないように。凌牙が何もできないように。凌牙は解こうと腕を動かすが、縄は肌に食い込むばかりで解ける気配を見せない。うまく結び上げられたことに安堵し八雲は笑う。

「……これで凌牙は僕を見てくれるよな?」

 そうして凌牙を抱きしめて八雲は眠る。次に朝が訪れたとき、きっと凌牙が悪夢が現実だと理解してくれることを夢見ながら。

 

 

 ……目を覚ます。揺れるレースのカーテンから漏れる光が瞼を貫いて網膜を刺激する。ぐしゃぐしゃに乱れて汗やら体液やらが染み込んでいるはずのシーツはどこにもなかった。同じベッドで寝ていたはずの凌牙の姿もなかった。綺麗で真っ白なシーツの上に八雲は横になっている。身体を起こして窓の外を見る。靡く洗いたてのシーツは太陽の光を反射して、眩しい。

 飛び起きて八雲は凌牙を探して孤児院中を走った。ようやく見つけた凌牙は外のゴミ捨て場にいた。身なりを整えて、長袖のシャツを着て、昨日の情事の跡などどこにも感じさせず。……否、手首から不器用に巻かれた包帯が少しだけ覗いていた。ゴミ捨て場に投げ捨てられた、八雲が凌牙に施した縄が少しだけ見えた。それでも凌牙は八雲を見、死んだ魚の目で微笑むのだ。

「明日からもう、悪い夢は見なくていいんだ、八雲」

 そう言って八雲の横を凌牙は過ぎ去っていく。

 手だけではだめだったのだ。足も縛ってやらなくてはならなかったのだ。どうしてそれが分からなかったのだ。八雲は悔しさに打ちひしがれ、膝を折った。ぽろぽろと涙が土に染み込んでいく。

 押し寄せる絶望の波、敗北感、屈辱。八雲の慟哭は凌牙には届かない。

 凌牙の悪夢はその日で終わりを告げたのかもしれない。だが八雲の悪夢は永遠に終わらないのだ。凌牙がいなくなってからも八雲は毎晩同じ悪夢を見る。醒めない悪夢に、身体も心もどろどろと粘着く暗い色をしたものに侵蝕されていく。

 

2012.10.24

まだ全然現在の八雲とシャークさんが絡んでないのになんで過去回想だけで妄想膨らませてるんだろうという罪悪感に包まれながらも妄想を止めることができないのが腐女子というものですよ。

Text by hitotonoya.2012
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