トワイライト・ゾーン

 魔法使いが少女のために拵えてくれた箱庭は幸福に満ちていた。お砂糖、スパイス、素敵なものたくさん。そんなふうに創られた世界で、少女とその兄は花を摘んでいた。一面のシロツメクサの花畑。

「懐かしいね、凌牙」

 花冠を編みながら璃緒は双子の兄に笑いかける。

「小さい頃は一緒に公園で四ツ葉のクローバー探したり、こうして冠をつくったりしたよね。ねぇ、覚えてる?」

 ぷちり、ぷちりと折られていくシロツメクサの茎。束にして、編み、繰り返す。そうして出来上がった、白い花の連なって咲いた冠を、璃緒は凌牙の頭の上にそっと乗せた。

「約束したものね。私たち、ずっとずっと一緒だって」

 凌牙の、青い海色の瞳を覗きこんで、ぎゅっとその肩を抱きしめながら。

「……あの男に絶対に勝つって。約束したものね。大丈夫。私も凌牙も、ひとりじゃ敵わなかったけど、ふたりで力を合わせれば絶対に勝てるわ」

 ぴしゃん、と水の波紋が広がるように風景が揺らぐ。まるでARヴィジョンのそれのように、周囲は暗い海へと変わっていた。太陽の光も届かない深い深い海の中。双子の視線の先にあるのは一人の男の姿。璃緒の身体を焼き、凌牙の精神をぼろぼろに傷つけた憎い憎い十字傷の男。

 ごぽり、ごぽりと鼓膜を揺らす重い水の音。肺の中の空気を全て吐き切った凌牙は、先程まではあんなに苦しそうにもがいていたのに今や平然とその男、IVを見据えている。

「凌牙、大丈夫?」

 水の中で声を出すことに璃緒は疑問も抱かない。この虚ろな海は既に彼女の領域だ。そっと凌牙の肩に手を添える。彼の決意を後押しするかのように。復讐の海の中、闇色に濁った目で凌牙は虚ろに笑って璃緒の問いかけに頷いた。当たり前だった。凌牙は既に璃緒とひとつに、あるべき姿になったのだ。璃緒は満足気に微笑む。あのとき魔法使いが璃緒に与えてくれた力。凌牙は今それを共有している。この海が璃緒の海ならば同時に凌牙の海でもある。今ならばきっと、ふたりの復讐は果たされるだろう。

 凌牙の手をとり、璃緒はカードをドローする。復讐を果たすためのカードは既に凌牙が伏せてくれている。この虚ろな海から復讐心を解き放ち、約束の証の白色に染め上げるのだ。凌牙の頭上、璃緒の編んだ冠に咲き誇る花の色に。

 

 

 一面のシロツメクサの花畑。双子の兄妹は二人で花冠を編む。見上げたところにあるのは青い空と太陽ではない。ごぽりごぽりと漂う空気の泡。どろりと濁った暗い水中には、一欠片の光も差し込まない。ここは深い海の底。別世界へと繋がる海溝の中。それでも璃緒の眼前には間違いなくシロツメクサの花が咲き乱れているし、すぐ隣には愛しい兄の姿もはっきりと視認することができた。

 ぷちりぷちりと茎を折っていた凌牙の手がぴたりと止まる。璃緒はすぐにそれに気づいた。

「どうしたの、凌牙?」

 覗きこんだ凌牙の目の色は空を映した海の青色ではなく、璃緒と同じ赤色に染まっている。だってこの場所には空はない。光は届かない。

 皮膚が乾いて白く浮き上がった唇から、ぽつりと凌牙は声を漏らした。

「IVは、あいつは、トロンに利用されていただけだった」

「ええそうね。でもあいつが実行犯だということには変わりないわ。あの男は間違いなく私達から幸せを奪った……。凌牙。どうしてそんな顔するの? 私達、誓ったじゃない。私達ふたりの幸せを奪い去った全てに復讐するんだって。IVへの復讐はようやく果たしたわ。さあ、次はトロンの番よ。大丈夫。私達ふたりでなら、絶対出来る」

 シロツメクサの花畑に、ジジッ、とノイズが奔る。璃緒の声さえも歪む。

 ガラスで出来た箱庭の外側では、仮面の少年が少女とその双子の兄の会話を見てくすくすと笑っていた。金色の瞳を見開いて箱庭の風景を眺める少年の名はトロン。双子の兄妹の復讐を全て支配する存在だった。眼前のガラスの箱庭にトロンは白手袋をはめた手を翳す。赤く輝く紋章が放たれ、箱庭を覆う。

 ナンバーズと共に凌牙の元へ渡った璃緒の魂はトロンの紋章の力により、彼女の濃縮された復讐心のみが残されていた。他の邪魔なものはすべて抜け殻の身体に置き去りにされている。そんな単純な魂ならば、トロンの忠実な僕として操るのも容易いのだ。璃緒の兄、凌牙を支配するための手駒として。

 

 

『IVは、いやIVだけじゃねぇ、VもIIIも、トロンの犠牲者なんだ!』

 夢や理想や綺麗なものばかりを胸に抱いた少年の訴える声が聞こえる。

『デュエルで復讐や恨みを晴らしたって、誰も幸せになんかなれない……!』

 その声に響かされ、ふるふると迷いに波打ち揺らめく凌牙の瞳に璃緒は機嫌を悪くした。

 編んでいた花冠を放り投げ、白い花びらを散らせて凌牙の元へ駆け寄る。

 ナンバーズとして璃緒が凌牙に再会したときもこうだった。九十九遊馬。璃緒の知らないうちに凌牙の心のうちの大半を占めるようになっていた少年。復讐をやめろなどと知った風な口をきく彼の存在が凌牙の心を惑わせる。璃緒との約束を凌牙に忘れさせようとするのだ。

 ぴたりと動きを止めて花畑に座り込む凌牙を璃緒は抱きしめ、胸に抱きしめる。璃緒以外に何も見えないように。璃緒以外の声が聞こえないように。

「凌牙、騙されないで。あんなやつの声に耳を貸さないで」

 赤子に言い聞かせるように璃緒は凌牙の頬を撫で、目をじっと合わせて囁く。重なる赤い双眸がふたつ。

「今は復讐のことだけ考えるの。私たちには他には何もないじゃない! 一緒に復讐することこそが私たちの目的、私たちの幸せ! 邪魔するやつは誰だろうと容赦しない……!」

 璃緒はギリと歯を軋らせる。未だ聞こえる耳障りな声。璃緒に聞こえるということは、凌牙にも未だこの声が届いているということだ。

「九十九遊馬……!」

 凌牙と共に紡ぐ幸せな復讐劇。その一番の邪魔になる存在は真っ先に排除しなければならない。

 ふたりのしあわせのために!

 璃緒は兄を奪う遊馬への憎しみを滾らせる。その腕の中、凌牙は人形のようにぼうとしたまま、しかしその瞳は頭上に広がる暗闇の海を見上げていた。まるで何かを探し求めるかのように。

 

 

 トロンに歪まされた璃緒の復讐心は、同時に彼女の魂と一体化した凌牙の記憶にも干渉した。凌牙の記憶の中のIVを、トロンを、ドクターフェイカーに、そして九十九遊馬へと書き換え憎しみを増幅させることが上手くいったのも、まず先に璃緒の復讐心を紋章の力で増幅させたからこそである。双子の魂は惹かれあいひとつになりたがる。同じ胎で同じ時を過ごし同じ生を受けたのだ。その性質をトロンは見事に利用した。

 書き換えられた記憶と璃緒の憎悪、それを言動力として凌牙の身体はカードを操り相対する遊馬に復讐心をぶつける。

『目を覚ましてくれシャーク!』

「黙れ、黙れ黙れ黙れっ!!」

 耳障りな声に璃緒は叫ぶ。

「凌牙を惑わせないで! 凌牙を奪わないで!! 私たちの邪魔をしないで!! 九十九遊馬!! 絶対に倒す……! 息の根を止めてやる……!! 復讐は絶対に止めさせない……!!」

 腕の中の凌牙の唇が小さく動く。その紡ぐ言葉が自分の名でないことに、璃緒は見てみぬフリをした。

 何度傷めつけても、どんなに絶望的な状況に追いやられても、遊馬は決して諦めることはなかった。召喚された遊馬のナンバーズはしかしシャーク・ドレイク・バイスよりも攻撃力が低い。勝利を確信し璃緒は迎え撃つ。だがしかし遊馬の瞳は屈していなかった。

「永続罠! 好敵手の絆を発動!!」

「ばっ、馬鹿なっ!!」

 凌牙は、そして璃緒は目を見開く。

「シャークから離れて俺のところへ来い!!」

 カードから発された光がシャーク・ドレイク・バイスを絡めとる。次の瞬間には白銀の海龍は凌牙の場ではなく、遊馬の場に立っていた。

「目を覚ませシャーク!!」

 叫ぶ遊馬。凌牙の身体から溢れていた、心の闇が消えていく。

 璃緒と引き剥がされ、凌牙は憎しみを忘れていく。復讐心をなくしていく。璃緒だけを映していたはずの赤い瞳が晴れた空を映した青に変わる。凌牙が悲痛な表情で叫ぶ名は璃緒のものではない。遊馬の名ばかり。

「凌牙! 凌牙!!」

 璃緒はきっと厳しい視線を遊馬に向ける。

「ふざけないで……! 遊馬、早く私を凌牙のとこに戻してよ!!」

 ありったけの憎悪を璃緒は遊馬に注ぎ込む。それは苦痛となって襲いかかり、璃緒の魂を、シャーク・ドレイク・バイスをコントロールしているはずの遊馬に悲鳴を上げさせる。

「うあああああああぁぁぁぁぁぁっ!!」

 怒涛の如く押し込まれる負の感情に耐え切れず、遊馬はもがき苦しみ膝をつく。あとは凌牙がトロンから渡された罠カードを使い、遊馬を倒せばいいのだ。そうすればもう誰の邪魔も入らない。璃緒と凌牙はふたりきりで思う存分この世界の全てに復讐できる。遊馬が何かを喚いても、凌牙にはもう選択肢は残されていないのだ。

「……えっ?!」

 残されていない、はずだったのに。

 璃緒は目を見開く。向かい合った凌牙の場。そこに伏せられていたカードが2枚あったことに、たった今気づいたのだ。一枚はトロンから渡された殲滅の紋章であることは璃緒もよく知っている。ならばもう一枚は一体なんだというのか。

 凌牙の視線が璃緒の知らないカードに向けられる。

「やめて、凌牙! 何をするつもりなの?! 凌牙!! ねえ凌牙! 私の声を聞いてよ!! 凌牙! 嫌……っ、嫌嫌嫌嫌嫌――っ!!」

 きっ、と凌牙の、闘志と生気に満ちた、鋭い眼差しが向けられた先は遊馬ではない。その頭上にARヴィジョンとして浮かび彼を苦しめているナンバーズ、シャーク・ドレイク・バイス。璃緒の悲鳴も聞こえないのか、凌牙は手を空に伸ばし宣言する。

「俺はっ、速攻魔法! 深海雪原封印を発動!! ――シャーク・ドレイク・バイスを、除外するっ!」

 地面が割れる。異世界へ繋がる海溝から吹き上げた堆積物の吹雪が璃緒を襲う。隔離される。遊馬からも、凌牙からも。

「嫌、嫌よ、そんなのっ! 凌牙、ねぇ凌牙、凌牙――っ!!」

 身体が雪に覆い尽くされる。意識が凍りついていく。復讐心の、憎しみの炎が封じられていく。

 そうして璃緒は、シャーク・ドレイク・バイスは誰も傷つけることを許されず、ひとりフィールドを離れ粒子となって消えていく。

 消えゆくさなかに璃緒は涙で滲んだ視界に見た。

 彼女の半身たる兄が、璃緒に向かって間違いなく微笑むのを。

「……俺はその代償として、1000ポイントのダメージを受ける」

 吹雪は凌牙をも飲み込んだ。

 

 

 一面のシロツメクサの花畑。しんしんと降り積もる雪が白い花を緑の葉を覆い尽くす。その中で、氷の棺に少女は眠っていた。きゅ、きゅ、と雪を踏みしめる音が聞こえる。少女は音のするほうに顔を動かす。どんどん大きくなっていった音は少女のすぐ傍で止まる。神代凌牙。氷の棺に封印された少女の、璃緒の双子の兄。

 凌牙はそっと璃緒の眠る棺に手を伸ばす。凍えた頬に触れるあたたかな手。深い海の色をした瞳は穏やかに凪いでいる。

「……凌牙」

「璃緒。……すまなかった、俺のせいで、お前をこんなめに」

「なんで凌牙が謝るの? ……謝らなければいけないのはむしろ私のほうでしょう? 私は、凌牙に」

 凌牙は首を横に振る。

「俺がお前の気持ちを全然わかってやれなかったのがいけなかったんだ」

 璃緒を抱き上げ、凌牙はぎゅっとその細い身体を抱きしめる。

「……お前からずっと逃げてた。約束を守れなかったあの日から。ずっとお前をひとりにしちまってた。ごめん、璃緒。傍にいてやれなくて。俺たち、ずっと一緒だったはずなのに」

 背中に回された腕に力が篭められる。凌牙の吐息が璃緒を解かしていく。璃緒もくしゃりと顔を歪めて笑った。ずっと恋しかった兄の腕の中。ここは光の届かない深海ではない。降り注ぐ雪がきらきらと太陽の光を受けて輝いている。

「ほんと、そのとおりよ。凌牙ひとりで勝手に背負い込んで。私がいてあげられたはずなのに。いつの間にか、私より大切な人見つけて」

「あいつは、そういうわけじゃ」

「ううん。ごまかしても無駄よ。私全部知ってるんだから。凌牙の記憶も気持ちも全部私の中に流れ込んできた。ナンバーズの……私の支配を拒んだとき、凌牙を支えてくれた思い出、全部知ってるわ。……私、ヤキモチ焼いちゃった。憎むんじゃなくて、ありがとう、って言うべきだった。遊馬くんに。凌牙をたくさん救ってくれて。凌牙の大切な人になってくれてって。……それが、私だったら、一番よかったはずなんだけどね」

 

 凌牙の背中を抱き返す。一年前よりも大きくたくましくなった身体。璃緒が病院のベッドの上、復讐心にとらわれて動けなかった間に、どれだけの困難を彼は乗り越え、強くなったのだろうか。

「……凌牙。今度は私も一緒に戦う。今度こそ、凌牙と一緒に力を合わせて。凌牙の本当にしたいことを成し遂げられるよう。私が助けるから、絶対」

「璃緒。……ありがとう。全部終わったら……必ず病院行くから。今度こそ、お前の傍から離れない。約束する。絶対に。叶えてみせる」

 編みかけのまま置き去りにされていたシロツメクサの花冠。雪の下から救い上げると凌牙はそれを璃緒の頭にそっと載せる。赤い瞳を涙で潤ませて璃緒は笑う。凌牙の頬に触れる手はあたたかい。

「おそろいだね、凌牙」

 それは復讐ではなく、約束の証。

 きらきらと降る雪が積り、ガラスで出来た箱庭を埋め尽くす。全ては太陽の光に解け、粒子となって消えていく。復讐に囚われた双子はもういない。

 約束の戦いは間もなく始まる。

 

 遊馬から手渡された黒枠のカードを見、凌牙は決意を篭めるように目を閉じる。

 No.32 海咬龍シャーク・ドレイク。何度も凌牙を苦しめたナンバーズ。遊馬もそれはよく知っているはずだった。しかし今、凌牙が手にした赤き海龍から感じられるのは闇色の復讐心や憎しみではない。穏やかであたたかな力。とくん、とくんと未来へ向かい脈打つ生命の鼓動。そのリズムは凌牙の心音と重なり、心地良い。

 目を開けば遊馬が凌牙を見、笑っていた。きっと彼は知っているのだ。このナンバーズの正体を。そう悟ったのは凌牙と再会を果たした璃緒の魂もまた同じだった。

 そして璃緒は凌牙と本当の意味でひとつになる。一度は殺したいほどの憎しみをぶつけた少年。彼を救いたいという兄の気持ちを叶えるために、力を合わせて約束の白色に身を染める。ふたりで一緒に過ごす未来を掴み取るための力。その清廉な魂に復讐心など微塵も残っていなかった。

 

2012.09.29

こうだったら32に関する諸々が納得いくな〜というぼくのかんがえた最強の遊戯王ゼアル。シロツメクサの花言葉は「復讐」「幸福」「約束」「私を思って」「私のものになって」を使いました。

Text by hitotonoya.2012
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