マリンスノー

『このカードをキミにあげよう。さぁ、明日は準決勝だ。憎い憎い九十九遊馬を倒すために、キミの力を、ナンバーズの力を存分に発揮できるデッキを組み上げておいで』

 熱と蒸気の支配するボイラー室で甘く蜂蜜のようにどろりと囁かれた言葉がまっさらになった頭の中で響き続けている。ふらふらとおぼつかない足取りで入り組んだ路地裏から脱出し、置き去りにされたバイクの元に辿りつくまでに果たしてどれだけの時間がかかっただろうか。無意識のまま夜道をバイクで走らせ、気がついたときには自分の家の自分の部屋にいた。もののあまり置かれていない部屋がいつも以上に無味乾燥に見える。

「……あしたは、じゅんけっしょう」

 WDC。世界じゅうから強豪デュエリストの集った名誉ある大会。公式大会出場禁止が解けて初めての大会で、ベスト4に入る名誉を既に獲得している。だが、俺の目的は大会に優勝することではない。俺の目的は。

「かつ……ふくしゅうする、りおの、かたき、とろんの、ために」

 復讐。ただそれだけ。妹を、リオを傷つけた輩にこの手で復讐を果たす。そのためだけに俺は生きている。動いている。そのために悪魔に身体を奪われても構わないと誓ったのだ。あの深くて暗い海の底で。そこで俺は。

 腰のデッキケースに手を触れる。蓋を開けて、束になったカードを掴みあげる。エクストラデッキの一番上に置かれていた黒枠のモンスター・エクシーズ。深淵の海底を泳ぎ獰猛に獲物を捕らえる牙を光らせた白き海竜。CNo.32海咬龍シャーク・ドレイク・バイス。俺の手に入れた新しい力。復讐のために存在する力。このカードで俺は目的を果たすのだ。それからもう一枚。仮面の少年、トロンがくれた罠カード。デッキの束から持ち上げる。金箔で刻まれた文字は殲滅の紋章。どくり、身体中が大きく鼓動をし、脳裏に赤い光を放つ不思議な紋章が浮かび上がる。同時に聞こえるトロンの声。復讐を果たすためにナンバーズの力を存分に発揮できるデッキを組み上げる。それが今、俺がやるべきこと。

 糸で引っ張りあげられたように手を伸ばし、棚に収められたカードファイルを、ストレージをとりあげる。椅子に座り机にカードとデッキを広げ、機械が単純作業をするように振り分けていく。

 手元のナンバーズはランク4。召喚するためにはレベル4のモンスターを複数フィールドに揃えなければならない。そして効果を使うためには特定のカードが必要になる。メインデッキの中から不必要なカードを抜いていく。レベル3のカードが主体で構成されていたデッキはシャーク・ドレイクを出すには向かず、ほとんどのカードが抜き去られていく。ぱらぱらと机の上に、床にまで落ちていくカードの姿にどこか大切なものが抉られて消されていくような気がしたが、そんなことは復讐という大義の前ではどうでもいいことだった。エクストラデッキのランク3のモンスターも当然のように抜けていく。ナンバーズが勝利を齎してくれるのだから、今の俺には必要ないものだからだ。エアロ・シャークにブラック・レイ・ランサー。そんなものたちよりも遥かにこのナンバーズは強力で魅力的なのだから。あとはどうやって3体のレベル4モンスターを並べるか。相手の攻撃による戦闘破壊を防ぐ罠カード。墓地からモンスターを蘇生する魔法カード。必要なものをストレージから取り出し、デッキに加えていく。ゆらゆらと身体に纏わりつくように立ち上るナンバーズの力の波動が水の中を漂っているかのように心地よい。ナンバーズも喜んでいるのだ。彼のためのデッキが組みあがっていくことに。(俺が俺でなくなっていくことに)

 一通りカードを揃えて、構築と枚数を確認する。トロンがくれた罠カードも当然入っている。俺はトロンのために戦うのだから、彼がくれたカードはきっとそれは素晴らしい活躍をしてくれるに違いない。39枚、しかしデッキは規定枚数に一枚足りなかった。何を入れようか。考えようとした頭の中でトロンが楽しそうに笑っている。燃え盛る獄炎に包まれた憎い復讐対象のビジョンが脳に焼きつくように浮かび上がる。炎の中で笑うのは赤い瞳の少年。トロンが囁く。さぁ、キミの憎しみを全てこの男にぶつけるのだと。

「とろんのために、ふくしゅうする、にくい……つくも、ゆうまに、ゆうま、に」

 遊馬。九十九遊馬。

 その名前を口にして、ぴたりと手の動きが止まった。

 九十九遊馬。妹を傷つけた張本人。

 九十九遊馬。俺を何度も助けてくれた人。

 九十九遊馬。憎いドクターフェイカーの協力者。

 九十九遊馬。大好きな太陽のような人。

 九十九遊馬。俺はそいつに復讐をしなければならない。

 九十九遊馬。俺はそいつを復讐に巻き込みたくない。

 九十九遊馬。明日の準決勝で絶対に倒さなければならない。

 九十九遊馬。嫌だ、俺は、あいつと、戦いたくない。

「うっ、あ……うあぁぁぁぁぁあああああ!!」

 突如襲った激しい頭痛はどこが原因か発生源が分からず後頭部を掻き毟るように抑える。荒い呼吸を繰り返し、がたがたと椅子を鳴らせばカードが宙を舞う。

「いやだ……ゆうま、ゆうま……おれは……おれはっ……!」

 かたく瞼を瞑ってもその裏側に焼きついたトロンの紋章の赤い光が決して逃がさないとばかりに鈍く輝きを放ち続ける。戦いたくない、俺はあいつと、戦いたくない、巻き込みたくない、こんな復讐劇に、デュエルを純粋に楽しんでいる遊馬を巻き込みたくない、予選の三日目、工事現場でのデュエルで思い知ったのに、遊馬とはもうあんな憎しみに呑まれたデュエルをしないと、俺はしたくないのだと知ったのに。だのにトロンの紋章の力に、ナンバーズに支配された脳は、身体は、その心を拒絶するように痛みを与え俺を殺そうとする。

「おれは……もう、ぜったいに、だれにも、あやつられない……!」

 いつか叫んだ言葉。それが最後の精一杯の抵抗。机の上に這い蹲って、散らばったカードの中からたった一枚の魔法をとりあげる。残り一枚、足りなかったデッキにそのカードをしのばせる。

 あの時勝利の甘い誘惑に負け、除外の海溝から呼び戻してしまった禁断の力。それが今己を支配しようとする悪魔の正体。ならば、どうか再びそれを深い海の底へと封印することが叶うように。たとえ俺が一緒にそこへ沈んだままでも構わない。遊馬に……深海から見上げた太陽の光のように愛しい存在に危害を加え苦しませるくらいならば、俺は。

 そうして40枚のデッキを完成させデッキケースに押し込む。同時に頭痛とトロンの笑い声を断ち切るように、俺はそのまま意識を手放した。どさりと大きな音を立てて、床に散らばった大切なカードたちの中に糸の切れた身体はあっけなく沈む。

 なあ、俺は、お前を傷つけないでいることができるだろうか。

 大丈夫だよな、遊馬。諦めなければ、出来るよな。俺は絶対に諦めないからな。

 

2012.07.03

62話のシャークさん本当に良かった…良かった…はじめてゼアルの小説を書いたときと同じ気持ちで書きました。

Text by hitotonoya.2012
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