WDC決勝前夜パーティを早々に抜け出して、凌牙は夜のハイウェイをバイクで駆ける。元より人が多く騒がしい場所は苦手だった。決勝進出者の出席がよほどの事情でない限り必須だと招待状に書かれていたから顔を出しただけだった。遠くからでも参加者の顔を確認することは出来たし、IVを前にしても凪のように平静を保つことができたのは自分でも驚きだったが同時に収穫でもあった。キュィィと高いブレーキ音と共にタイヤの回転が止まる。凌牙はヘルメットとゴーグルを外し、目の前のガラス張りのビルを見上げた。ハートランドシティでも有数の病院。そこには凌牙の妹が入院していた。
ネットで面会時間を調べたところ、この病院は遅くまで家族の面会を許可しているようだったが、とてもパーティが終わってからでは間に合いそうになかったため、凌牙は式典を待つことをせずに会場を出たのだ。滅多なことでは凌牙がこの病院を訪れることはなかった。一年前、凌牙の、そして凌牙の家族の運命をすべて狂わせたあの全国大会の決勝戦。絶対勝つと約束したくせに、凌牙は勝ちも負けもすることなく、不正により失格になってしまったのだ。ぼろぼろになったからだでそれでも凌牙を応援してくれた妹に、会わせられる顔があるはずない。
あれから妹はずっとこの病院に入院したまま、意識はなく、ただ繋がれたコードによって生きながらえている。おそるおそる病室に入った凌牙は、彼女の眠りの妨げにならぬよう、一番小さなライトだけを点灯させた。広い病室にベッドがひとつ。窓の外からはハートランドシティの夜景が見渡せる。凌牙がかつてカイトに魂を奪われて入院したときと似たような風景だった。
「……前に来たのは、いつだっけか」
普段の学校での、悪ぶった話しかたを止め、凌牙はベッドサイドに置かれた面会用の椅子に腰掛ける。
「お前と約束してから、一年経っちまったけど。ようやく来たんだ。お前に言われたこと、叶えるチャンスが」
ピッピッ。ピッピッ。規則正しく鳴る小さな電子音。それにさえ隠れるほどの、囁くような声で凌牙は微笑んだ。
「今度こそ決着をつける」
そう、眠る妹に凌牙は誓いを立てる。
この夜までに凌牙がここに来なかった、否、来ることができなかったのは自分の心の整理ができていなかったからだ。
そもそも出場する気さえなかったWDCに凌牙が身を投じたのはIVへの復讐のため。デュエルで復讐を果たそうと躍起になって、ハートピースを集めた。だがそれは間違いだったことを、眠る妹の知らぬ一年の間に出来た友人が教えてくれた。
「お前のためだって言い訳して、俺はきっと俺のために、憎いって気持ちをあいつにぶつけようとしてたんだ」
苦笑して、凌牙は無機質な天井を見上げる。
無関係のデュエリストをも憎しみに任せたデュエルに巻き込んで。それではまるで、あの馬鹿で間抜けな友人と出会う前の荒れ果てた自分と変わっていなかったではないか。
気づいた上でも凌牙には本当に自分の中で憎しみを消化して、純粋なデュエリストとしての闘志に変換できているのか不安だった。再びIVを目の前にしたら、うわべだけ塗り固めてもすぐに内側に押さえ込んだ負の感情があふれ出してしまうのではないかと。だからパーティ会場でIVが現れたとき、誰も見てない二人きりの空間であったとしても、ふつふつと煮えたぎるものが怒りでもなく憎しみでもなく、「デュエルをしたいという気持ち」であったことに凌牙は安堵したのだ。そして、今ならば、妹に会える資格があるのではないかと思えたのだ。
一年前、凌牙の決勝進出を誰よりも喜んでくれたのは妹だ。あれから公認大会への出場停止が解けたまさに今、それ以上の舞台に立つことを許された凌牙を、きっと妹も祝福してくれるのではないかと、凌牙は珍しく前向きな気持ちになることができていたのだ。
ぽつぽつと、凌牙は眠る妹がなんの相槌を返さなくとも、独り言のように語り続けた。新しい友人のことや、調整したデッキのこと。出来る限り彼女の不安を煽るようなことは言わない。ゆっくりと穏やかな時間が過ぎていく。
「俺は俺のデュエルをする。全力を出す。そして、勝ってくる」
期待してろよな、と兄貴風を吹かせて。くしゃりと撫でられない頭の上で掌を振る。
シュン、小気味良い音が、凌牙の邪魔をした。ドアの開く音だった。
面会時間はまだ十分にあるはずだ。時計を一瞥し、凌牙が振り返る。廊下の明かりに逆光になった人影が、視界に入った。かたんと音を立てて椅子が揺れる。思わず立ち上がった凌牙は息を呑んだ。
見間違いようのないシルエットがそこにはあったのだから。
背丈は凌牙より少し大きいがそれほど変わらない。舞台衣装めいた金縁の白い装束、金色の前髪、逆立てた赤い後ろ髪。閉じる自動ドア。ほのかな明かりに照らされた褐色の肌。頬に奔る十字傷、獰猛な赤い眼。
小さな花束を手に現れたその男はIVだった。
目のあった瞬間はIVも何故か驚いたように目を見開いていたが、直ぐに思いついたようにその表情は歪み口の端がみるみるうちに釣りあがっていった。
「……ヘェ、まだ妹に会わせる顔があったんだなぁ? 凌牙」
挑発的な声に、凌牙はどくんと響いた鼓動を押さえつけるように、平坦なトーンで答える。
「それはこっちの台詞だぜ。何しに来やがった」
妹を庇うように立ち、睨んだ凌牙にIVはわざとらしく音を立てて笑い、手にした花束を持ち上げて見せた。明るいオレンジ色のクレープ紙に包まれているのは小ぶりのバラと赤く熟れたラズベリーだ。
「お見舞いに決まってるじゃないですか?」
わざわざ花束まで持ってきてるんですから、手ぶらのあなたと違って。
厭味を言いながらこつこつとIVは妹の眠るベッドへ近づいてくる。凌牙は腕を広げ、これ以上の接近を阻止した。
「またこいつに手を出すつもりか!」
歯を軋らせて凌牙はIVを睨む。じわり、何か重たく暗い感情が胸の奥で滲む。凌牙はそれに気づかない。
「決着はWDC決勝で。そう言っただろう?」
焦る凌牙に対し、IVは余裕の笑みを浮かべている。つい先ほどパーティ会場で会ったときは、IVはもっとどこか余裕のない様子だったはずなのに。
じりじりと距離をつめられる。妹を人質にとられているような状況で凌牙は下手に動けない。ベッドの淵が凌牙の脚に触れる。
「妹の目の前で犯してやろうか? お前のことだ、興奮すんだろ?」
冷たい声が響く。ぱさりと乾いた音を立てて小さな花束が床に落ちる。ぐいと伸ばされたIVの腕は凌牙をとらえ、顎を引き寄せられて唇を重ねられた。歯列の隙間から器用に入り込んだ舌は凌牙の舌に執拗に絡む。くちゅくちゅと濡れた音が鼓膜を揺らす。凌牙が逃げても逃げてもどこまでも追いかけてくるIVの舌。貪るような口付けは今まで交わされたどれよりも激しく凌牙を求めているようだった。無理矢理組み敷くように、動物が己の優位を相手に示し支配するように。
ガリ。歯の鳴る音で、淫猥な水音が中断される。
「ッ、って……」
ようやく離れた唇からIVは空気に晒すように赤い舌先を覗かせる。凌牙がIVの舌を噛んだのだ。支配されるまいと。
「デュエルで決着つけるっつったのは、テメェの方だろ」
僅かに上がった息を押さえ、凌牙は足元の花束を見た。ラズベリーの赤い果実が目を惹く。その色がまるでIVが凌牙を嘲笑う瞳と同じで、気分が悪くなった。一度目を伏せ、開く。見据えるのはIV本人の眼。
明日はWDCの決勝。決勝のルールは特殊で、対戦相手を自由に選ぶことが出来る。
「真っ先にテメェをつぶしてやるよ……!」
ラズベリー色の瞳は実に嬉しそうに輝くと、凌牙の身体から手を離した。
「そうだ、その目だ!」
狂ったようにIVは笑う。いつもの道化の仮面は剥ぎ取られ、むき出しの本性を晒して。
「お前はずっとその目をして、俺を追いかけてればいいんだよ!」
赤と青が交錯する、そこに秘められた感情を知るには凌牙はまだ幼すぎた。ただ額面どおりにIVの言葉を受け取り、凪いでいた心に波風を立てられて、だがそれを妹を守るためだと言い訳をする。必ずIVを倒す。その決意を胸に刻みこめられて。
見回りの看護師が、神代と書かれたプレートの部屋に入る。小さなランプがつけっぱなしだった。面会に来た誰かが消し忘れたのだろう。この病室の患者が自分でランプをつけることはできないのだから。溜め息を吐いてスイッチに手を伸ばそうとしたとき、ふと、床に何かが落ちていることに気づく。黄色のクレープ紙で巻かれたそれは小さなブーケだ。拾い上げて、看護師は微笑む。
「また来てくれたのね、ラズベリーの花束の人」
ラズベリーを入れた花束を見舞いに贈る人などなかなかいない。そのためこの病室にしばしば飾られるラズベリーの花束は、看護師の間では有名だった。水を入れた花瓶になれた手つきで看護師は花束を飾る。ベッドサイドに置かれた赤い果実は、眠る少女を見て何を思っているのか。
看護師はそうえいばこの前同僚がラズベリーの花言葉について調べていたことを思い出す。意味はすぐには思い出せない。ナースセンターに戻ったら、調べてみよう。そうして看護師はランプを消すと、眠る少女に一瞥し、見回りに戻った。
* * *
苛立ちを抑えられないまま、IVはろくに得意のはずのファンサービスもせずにパーティの時間を過ごしていた。出来る限り人目を避けていれば、いつの間にかトロンもVも先に帰ってしまっていて、結局IVはひとり残されることになった。
「……クソッ」
舌打ちし、IVは傍にあった石ころを蹴りつける。こん、こんと高い音を立てて石畳の上を跳ねていったそれに、しかし益々苛立ちは募るばかりだ。お前は必要ないよ。耳元で聞こえた子どもの声にIVは泣きそうな顔をして振り返る。しかしその先には誰もいない。トロンの声は幻聴だった。あまりにもリアルで、そして遠くない未来に現実となって訪れるだろう恐怖を伴った。
トロンは自分より神代凌牙の方に重きを置いているのではないか。期待はずれだと告げられた際に突然に浮上した少年の存在は、IVを動揺させるのに十分だった。復讐のための道具として、トロンが凌牙を必要としていることは以前からIVも知っていたし、そもそも彼をWDCの舞台に引きずり出す役目を負うたのもIVだ。だが、まさか、あんな身体になってまで尽くしたIIIや、自分に対してトロンが暴言を吐き、続けて凌牙はそれらとは違うのだなどと言われれば、どうして冷静でいられようか。
IVにとって凌牙は、たとえ一番の『ファン』だとしてもあくまで『ファン』の一人でしかなかった。一年前に陥れ、デュエリストとしての牙を引き抜き、抜け殻にまで落としてやった存在だった。凌牙はIVの獲物であり玩具。掌の上で踊る哀れな人形。その支配権も優位もIVの側にある。ずっとそう思っていたというのに。
IVの精神を更に追い詰めたのがその凌牙の態度である。復讐しなければならない相手、つまりIVを目の前にしたときの彼の表情の凪いだ様といったら、どれだけ憎たらしいものだったか! 憎くて憎くてたまらないはずの復讐対象を見て、どうしてあんな顔ができる。IVは凌牙の深海のように青い瞳にもう既に自分の姿は映されていないのだと知り歯を軋らせる。誰も彼もがIVを軽んじ、IVを見ない。正の感情であっても、負の感情であっても、IVにはそれが耐えられぬほど恐ろしかった。
溜め息と共に空を見上げる。月と星が輝き、あれほど騒がしかったパーティが嘘のように静寂に包まれた夜の空気は冷たい。吹き抜けた風がIVの心を冷ましてくれた。……ここで不貞腐れていても、何も変わらない。それが分からないほどIVは子どもではなかったし、大人にもなりきれていなかった。明日にはもう決勝が開始される。そこで何らかの結果を残さなければならない。プレッシャーが肩にのしかかる。今まで極東チャンピオンのIVとしていくつもの大会に出場し好成績を収めてきた。しかしここまでの重圧を感じたのは、今回がはじめてだったかもしれない。ふと脳裏を過ぎるのは一年前、このハートランドシティで行われた大会での対戦相手の表情だ。押し寄せる歓声の中、まだ十三歳だった少年は、IVと握手を交わしながら震えていた。小さな肩にのしかかったプレッシャーで押しつぶされそうになりながら、緊張と不安と罪悪感の海の色の目の瞳を泳がせて。あのときの凌牙ともしかしたら自分は今同じ顔をしているのではないだろうか。そう考えて、IVはくっと笑った。そんなことがあってたまるか。IVは他人の瞳が自分の手で絶望に染まることは大好きだが、自分の瞳が絶望に染め上げられることなど断じて許されてはいけないことだと思っていた。否定するように首を降れば両頬に伸びた横髪が触れる。それから、もうひとつ、IVは思い出すともっぱら通信専用になっているDゲイザーを取り出し、タクシーを呼び出した。
ハートランドシティ随一の大病院のある大通りから、少し路地にはいった場所に小さな生花店があった。タクシーをそこで降りたIVは迷わずに店のドアをくぐる。切り盛りしているのはグレーの髪の老婆だ。とはいえ腰は曲がっていないし、「いらっしゃい」と親しげにIVに向ける笑顔は実年齢よりずっと若く見える。
「いつものだね」
デュエルや芸能に興味がないのだろう、この店主はIVの表の顔を知らない。だからこそIVは気楽に訪れることのできるこの店でいつも花を買っている。何種類も何色も並んだ花々の中から店主が迷わずに選び取ったのは赤い実をつけたラズベリーだ。花屋に置かれるには珍しいもののはずだが、IVがいつ来てもこの店にはラズベリーがあった。
ラズベリーと、その日の店主のおすすめの花を小さなブーケにして、手際よくリボンがかけられる。
どうしてその花を選ぶのか、なんのために花束を包むのか、店主は聞かない。でも、全て分かったような目で彼女はIVに何の屈託も無い微笑みを送る。出来上がった品を受け取り、現金で支払うと、IVは小さく礼をして店を後にした。
向かう先は病院だ。そこにはIVがかつて、復讐劇に巻き込んでしまった哀れな少女が目覚めることなく寝たきりになっていた。
謝罪を意味する花言葉はないのだと、IVが知ったのはもう一年も前のことだ。
IVはサディストだが、全く無関係な人間を無差別に痛めつけたり傷つけたりするのは趣味ではない。それがたとえ、標的の身内であっても。
元々几帳面な性格のIVは一年間、プロとしての活躍で忙しくなってもこの場所へ花束を手に何度も訪れていた。
(……今日が最後になっちまうかもな)
廊下を歩きながら、揺れるラズベリーの果実を眺めて思う。WDC決勝。トロンの、兄弟の、自分の念願の復讐劇のクライマックスの幕があがる。もし全てがうまくいけば、きっともうこの場所を訪れることはなくなってしまうのだろう。だからこそ、今夜IVはこの花束を届けたかった。
神代と書かれたプレートの前で足を止める。いつもならば、彼女と彼はIVの頭の中で全くの別人として区別されていたはずなのだが、今日ばかりはその苗字を目にするだけで腹の奥がむかむかとしてしまう。乾いた舌を舐め、IVは病室のドアを睨む。そうして一歩踏み出せば、シュンと小気味良い音を立てて、扉は開くのだった。
その中にいた、一人の少年の姿にIVは目を見開く。
青紫の外に跳ねた髪。似た色のジャケットの下には胸元の開いたシャツ。シルバーのペンダントは鮫の歯の形を模している。いかにも悪ぶってみましたとばかりな格好。自動ドアが閉じる。室内に照らされた小さなランプの明かりに浮かび上がる生白い肌。まんまるに見開かれたのは深海の青の瞳。
ベッドサイドの椅子から立ちあがり、息を呑んでいる少年は神代凌牙だった。
目が合えば、凌牙は驚きに満ちている様子だった。この病室に滅多に凌牙や彼の両親が訪れないことをIVは知っていた。だからここに凌牙がいるなんて想像もしていなかった。ざわりと胸の奥からこみ上げる負の衝動。それらを押さえ込むようにしっかりと制御しながら、IVは思いついたように唇の端をにいと笑みの形に吊り上げた。
パーティ会場で会ったときに比べて、ずっと余裕のない表情をした今の凌牙ならば、すぐに立場を再び逆転できるだろうと。
「……ヘェ、まだ妹に会わせる顔があったんだなぁ? 凌牙」
挑発するように声を出す。凌牙の本質は純粋でまっすぐな少年だ。月日が流れようと、どれだけ見目を悪ぶってみようと、そこは変わらない。傷をつけるような言葉を発せば、そら見ろ、簡単に瞳孔を窄めて動揺の色を見せる。
「それはこっちの台詞だぜ。何しに来やがった」
兄としての自覚はしっかりあるのだろう、ベッドに眠る少女を庇うように立った凌牙に、IVは出来る限り平静と余裕を見せるように声をあげて笑った。手にした花束をもちあげ、凌牙に見せ付ける。ラズベリーの実が揺れる。
「お見舞いに決まってるじゃないですか? わざわざ花束まで持ってきてるんですから。手ぶらのあなたと違って」
図星を疲れて歯を軋らせる凌牙にじりじりと近づく。睨んでくる青い瞳には間違いなくIVの姿が映っている。ぞくりと背筋が震えた。これは恐怖ではない。快感だ。今、間違いなく、IVは凌牙より上の立場にいる。
「またこいつに手を出すつもりか!」
何も守れない、何の力もないくせに、強がる凌牙の姿は苛立ちを催させ、今すぐにでも屈服させてやりたくなる。だが、焦りは顔に決して出さない。出す必要がない。優位なのは自分の方に違いないのだと、IVは言い聞かせて余裕という仮面を被る。
「決着はWDC決勝で。そう言っただろう?」
それを真実めかしているのは、凌牙の顔がみるみる焦りと怯えの色を濃くしているためだ。凌牙が余裕をなくせばなくすほど、IVの心にはゆとりが戻ってくる。じりじりと距離をつめる。ちらちらと凌牙は後ろで眠る妹のことばかりを気にしている。まるで彼女が人質にとられているかのように。IVはにっと目を細める。本人さえ巻き込むことがなければ利用できるものは利用するのもまたIVの信条である。
冷淡に、快楽殺人者のように。IVは冷たい声を出した。
「妹の目の前で犯してやろうか? お前のことだ、興奮すんだろ?」
言うが早いか、凌牙の身体に手を伸ばしてからめとり、IVはぐいと引き寄せた。ぱさりと乾いた音を立てて小さな花束は床に落ちる。凌牙の小さな顎を引き寄せて唇を重ねる。動揺が見て取れる。すっかり変わってしまったと思われた凌牙は、いまやIVの糸に操られて踊っていた頃の彼に戻りつつある。歯列をなぞり隙間を開かせ舌を割り込ませる。逃げる舌を追いかける、追いかける。触れた側面を舐めあげ、絡ませる。くちゅくちゅと濡れた音はわざと響かせる。凌牙の身体がびくんと跳ねるのに、IVは気をよくして更に貪る。この生意気な身体に教え込んでやるのだ。お前は俺の人形にすぎないのだと。俺の思うままに踊っていればいいのだと。全てを支配しているのは俺なのだと。教えこんで、認めさせて、屈服させて、跪かせて!
ガリ。鈍い音。次いで、奔る痛み。じわりと広がる鉄のにおいと味に、IVは凌牙から身体を離した。
「ッ、って……」
空気に晒して乾かすように舌先を出す。凌牙がIVの舌を噛んだのだ。そんなことをされれば、怒りと憎しみに狂ってしまいそうになるはずなのに、IVはそうならなかった。何故なら。
「デュエルで決着つけるっつったのは、テメェの方だろ」
凌牙の青い瞳が床に落ちたラズベリーを一瞥し、しかしすぐに向き直りIVを睨む。
「真っ先にテメェをつぶしてやるよ……!」
怒りと憎しみと不安と絶望と、そんな負の感情に塗れた目で、凌牙は余裕なんてちっとも見せないで、ただひたすらにIVだけを見ていたからだ。
顔が笑うのを止められない。抑えられない。ひくひくと震える筋肉。たまらない優越感。
「そうだ、その目だ!」
IVは声を張り上げて叫ぶ。余裕をとりつくろっていた仮面は剥ぎ取られ、むき出しの本性を晒す。
「お前はずっとその目をして、俺を追いかけてればいいんだよ!」
負の感情のたっぷりとこもった瞳でずっと追いかけてくればいい。追いかけて、追いかけて、追いつくことも追い越すことも出来ず。いくらでも逃げ回ってやる。優位は常にIVの側にある。なくてはならない。絶対に。
あんな穏やかな表情を、二度とさせてやるものか。
歪みきった顔は今にも涙が零れてもおかしくないようなものだったことに、凌牙も、IV本人も、気づかない。眠る少女はそんな彼らの顔を知るはずもない。床に落ちたラズベリーの果実が、その色と同じ瞳をうつしていることにも誰も気づかない。
最近のIV凌の関係を自分で理解するために。今回用いたラズベリーの花言葉は「深い後悔」「愛情」「嫉妬」「哀れみ」「羨む」「同情」です。
Text by hitotonoya.2012