3・4時間目、調理実習。

 学校中にチャイムが鳴り響く。二時間目の終わり、休み時間の開始を告げるチャイムだ。凌牙の教室も例外ではなく、生徒たちはいそいそと次の授業の準備に向かう。移動教室だ。続々と席を立つクラスメイトたちの波に紛れず、凌牙は窓際の一番後ろの席でため息を吐く。本当なら次の授業なんて、今から屋上にでもいってサボっていたいのに。しかし今日ばかりはそうもいかなかった。少なくとも次の教室に移動しなければならなかった。教室に誰もいなくなった頃、ようやく凌牙は立ち上がると持ち物を手に教室を出る。まだ休み時間は残っている。騒がしい廊下。さて、目的地はどっちだったか。曲がり角を曲がるか、直進するか、凌牙が考えたそのとき。

「うわぁっ、と!!」

 叫び声と、どん、という衝撃。勢いよく角の向こうから走ってきた何かが身体に当たり、あやうく持ち物を落としてしまうところだったが、凌牙はどうにかバランスをとりそれをくい止めることに成功する。

「いてててて……」

 対して相手はというと見事に廊下にしりもちをついている。あぶねぇだろ前見て歩け。そう怒鳴ってやろうと凌牙が見下ろすと、そこには見慣れてしまった赤いツンツン前髪があった。

「……あれっ、シャークじゃん!」

 顔をあげた下級生は九十九遊馬。彼は凌牙を見るととたんに笑顔になって、よっと片手を支えにして床から起きあがる。

「なんでこんなところにいんの?」
「こっちの台詞だ。ここは二年生のクラスの廊下だぜ」

 すっかり怒鳴る気も失せて、凌牙は肩を落とした。

「今ちょっと右京先生探してて……ん? シャーク何持ってんだ?」

 言うが早いか遊馬は凌牙の手の中をのぞき込んでくる。

「……バターと、チョコレート??」

 凌牙の手の中には、無塩バターの箱ひとつと板チョコレートが一枚、そしてエプロンと三角巾が乗っていた。

「……調理実習なんだよ、次」

 何故だか妙に恥ずかしく思えて、凌牙は遊馬と目をあわせないようにして吐き捨てる。本当は調理実習なんて凌牙はサボってしまいたかったのだ。なのに今日こうして凌牙が家庭科室に向かおうとしているのは、同じ班の女子にせがまれてしまったからだ。レシピで必要な材料を班員で分担して持ってこなければいけない以上、凌牙を欠くわけにはいかないのだと。気の強い、そして食い意地の少しばかり張った女子は普段は凌牙と話すことはなかったのに、こういうときばかりは何度も何度もしつこいくらいに念を押してきた。凌牙は根負けしてしまったということだ。

「同じ班のやつに、材料絶対持ってこいって言われて仕方なく……」
「チョコ使って何作るんだ? お菓子? いいなぁ〜俺腹減ってきた」

 ぐう、とまだ二時間目も終わったばかりだというのに遊馬の腹の虫が切なげに鳴る。きらきらと目を輝かせる遊馬はサンタクロースのプレゼントを待ちわびる子どものようだ。

「確かカップケーキだとよ。俺は材料だけ渡したらフけるけどな」
「いいな〜カップケーキ。うまそう、うらやましい!」
「……甘いもんそんな好きじゃねぇし、よくねぇよ。それよりお前、先生のこと探してたんじゃないのかよ」

 詰め寄ってくる遊馬から逃げるように指摘すれば、彼は思い出したように両手をぽんと鳴らす。

「いけね、そうだった! んじゃな、シャーク!」

 そうして風のように廊下を走り去っていった遊馬の背中を見ながら、凌牙は無意識のうちに苦笑していた。

 

 

「神代くん、遅い」

 家庭科室に入るなり班の女子が文句をいう。既に調理台の上には無塩バターとチョコレート以外の材料は揃っていて、調理器具も用意されている。ここまで生徒が自主的に準備をすすめる授業もないなと凌牙はある種の感心さえ抱いた。

「……これでいいんだろ」

 どさりと無塩バターとチョコレートを台に乗せて、凌牙はそのまま踵を返そうとする。凌牙の役目はこれで終わりだ。どうせクラスメイトも先生も何も言ってこないだろうし、このまま屋上にでも向かってしまえばいい。なのに、ふと目に入った女子の用意したカップケーキ用のカップに何故か惹かれてしまった。赤いチェックの模様が入っている。赤。一学年下のスクールカラー。……遊馬の前髪の色。遊馬の瞳の色。

『いいな〜カップケーキ。うまそう、うらやましい!』

 何気ないはずの遊馬の言葉が脳裏を過ぎる。

「………」

 しばしの無言の後、凌牙は調理台の横に置かれた椅子に腰掛けた。班のメンバーが目を丸くする。だって今回の調理実習の計画を練る前回の授業に、凌牙は出ていない。

「……おい」
「は、はいっ?!」

 隣の女子(凌牙に散々念を押してきた人物だ)に声をかければ、裏返った声で返事をされる。

「俺は何をすればいい」

 三時間目の始まりを告げるチャイムが鳴り響く。一応持ってきたエプロンと三角巾が役に立ちそうだった。

 

 

 調理実習が終わって、昼休み。凌牙はいつも通りテラスにいた。その手には、かわいらしくラッピングをされた(同じ班の女子がやったのだが)バナナとチョコレートのカップケーキがひとつ。

(いったい俺は何をしているんだろう……)

 掌の中のカップケーキを見つめ、凌牙は溜め息をこぼす。遊馬のためにと調理実習に参加してカップケーキを作ったはいいものの、どうやってこれを彼に渡せばいいのだ。一年生の教室にまで行ったり、帰りに待ち伏せして渡すなんてできるわけがない。そんなの女子があこがれの先輩相手にするような行為だ。恥ずかしいったらありゃしない。しかしそれをしないとなると、下級生の遊馬に会うタイミングなどそれこそ偶然廊下でぶつかったときぐらいだ。

「……ほんと、なんでこんなことしちまったのか……」

 フェンスにもたれかかり、うなだれる。こんなに悩んでしまうくらいだったら予定していた通りに屋上でサボってしまっていた方がずっと楽だった。そもそもどうして遊馬のために作ろうなんて思ってしまったのか。

(あいつの腹が鳴ってて、よっぽど飢えてるように見えたから……)

 とはいえもう給食の時間を挟んでいる。遊馬の飢えは回復しただろう。

(あいつにうらやましいってせがまれて……)

 否、遊馬はうらやましいとは確かに言ったが凌牙にカップケーキをくれとまでは言っていない。

 自問自答を悶々と繰り返す。もういっそのこと、このカップケーキを自分で食べてしまえばいいのではないだろうか。そう凌牙が思って、かけられたリボンに手をかけたときだった。

「あれ、シャーク!?」
「遊馬……!?」

 遊馬がそこに現れたのは。

「なんでここに」
「さっきまで鉄男とデュエルしてたんだけどさ、また負けちまって、そんで誰もいないところでデッキ構築見直そうとしたんだけど……まさかシャークがいるなんて!」

 なんという運命のいたずら。遊馬はたたと軽快な靴音をたてて凌牙の隣に駆け寄ってくる。

「お前はよくここにいたりすんのか? ……あれ、それって」

 遊馬の視線が凌牙の手の上のカップケーキに注がれる。

「……調理実習で作ったやつ」
「結局授業出たんじゃん」

 何故かうれしそうに言う遊馬に、凌牙はついとセロファンに包まれたカップケーキを差し出した。

「余ったやつだから、お前にやる。あんな死ぬほど砂糖の入ったやつなんて食えねぇよ」
「えっ、いいの? やったビング〜!!」

 単純な遊馬はそのまま受け取ると、早速リボンを解いてラッピングをはがしていく。

「チョコと……バナナ? お前バナナなんてもってたっけ?」
「バナナは班の他のやつが持ってきたやつだ。全員で材料持ち寄って作るだろ、調理実習は」
「そっか。シャークが作ったんだよな、コレ」

 太陽にかざすように、遊馬はカップケーキを見る。少しばかり不格好なそれをまじまじ見られるのは、なんだか気分が落ち着かない。

「型に材料入れた以外は、粉振るったり卵混ぜたりくらいしかしてねぇけどな」

 調理実習を思い出しながら凌牙は言う。仕事を振ることを想定されていなかった凌牙はほとんど力仕事ばかりをやらされた。女子にこき使われるのはなかなか疲れるものだった。普段から実習をサボってばかりいれば尚更だ。

「じゃあ、いただきます!」

 ぱくりと遊馬はかぶりつく。もぐもぐと噛んで、ごくりと喉に飲み込まれる様子を凌牙はじっと見つめていた。

「うんめ〜!! うまいぜこれ、シャーク!」

 ぱあ、と晴れ渡ったような笑顔が向けられて、凌牙は胸のあたりがどくりと脈打つのを覚える。

「俺じゃなくて、班の他のやつらがうまかったんだろ」
「シャークもちゃんと作ってんじゃん。ほんとうまいって」

 ぱくりともう一口食べる遊馬は心の底からそう言ってくれているようだった。頬の筋肉がゆるまる。笑みのかたちを唇がとる。抑えようとしても抑えられない。……うれしい、と凌牙は思ったのだ。

「これ食わないのもったいないって、ほら、お前も食べろよ」

 差し出される遊馬の食べかけのカッップケーキに、あわてて凌牙はゆるんだ表情を引き締める。

「いらねぇって」
「いいから、ほーらー!」
「おいよせやめろっ!」

 半ば無理矢理強引に口の中にカップケーキをつっこまれてしまい、凌牙は仕方なく食べる。舌の上に広がる、バナナの独特の風味、チョコレートのかすかな苦み、ケーキの甘さ。ごくりと飲み込む。遊馬が笑顔で凌牙を見守っている。

「うまいだろ?」
「……甘い」

 ぽつりと凌牙はつぶやく。

「だが、お前の言うとおりだな、遊馬。確かにうまい」

 おいしいと、凌牙は心の底から思えたのだ。それはきっと、カップケーキの本来の味だけでなくきっと隣に笑顔の遊馬がいるから。

「じゃ、残りは半分こしような!」

 カップケーキを二つに割って、遊馬は片割れをまた凌牙に差し出した。受け取って、凌牙は横目でカップケーキを食べる遊馬を見、微笑む。

(そうか、俺は……)

 きっとこんな遊馬の喜ぶ顔が見たかったから、このカップケーキを作ったのだ。

 照らす太陽が、吹き抜ける風が心地よいテラスで、凌牙はまた一口カップケーキを食べた。苦手なはずの甘さが、何故かとても愛おしいものに感じられた。

 

2011.12.06

34話のシャークさんが遊馬好きすぎてたまらなくなったので。監督のツイートにシャークさんと家庭科の話があったので、あえて逆らってみました(笑)

Text by hitotonoya.2011
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