やまい

 デッキ編集も手につかなくなって凌牙はベッドの上に横たわった。何かから隠れるように、頭からすっぽりと布団を被る。枕の上に頭を乗せて目を瞑っても、凌牙はなかなか寝付けなかった。眠るどころじゃない。胸が苦しくて苦しくてまるで呼吸困難にでもなったかのように凌牙は眉間に皺を寄せる。胸のあたりの服の布をぎゅっと掴んでみる。動悸は治まることがない。苦しさにシーツの上にがりがりと爪を滑らせる。何度も寝返りを打っても、何度も頭を横に振ってみても、凌牙はその苦しみから逃れることが出来ず、眠りにつくことが出来なかった。

 耐え切れずベッドから出て家の扉を空ける。しとしとと弱い雨が降っていた。傘もささずに凌牙はまるで操られたように力なく歩き出した。行くあてなどない。ただこの苦しみから逃れたかった。すれ違う人ごみや町の風景は雨のせいかまるで霧がかかったようにぼんやりとして凌牙の目に写った。普段はうるさいとさえ感じる喧騒もまるで耳に入らない。静寂につつまれた雨の街。凌牙はただ歩く。他にすることがないからだ。

 ふと目の前に一人の男が立っているのがはっきりと見えた。はじめは凌牙の妄想が見せた幻覚かと思った。何故ならその姿は、ここ数日凌牙を苦しめる原因となっている男と同じ姿をしていたからだ。

 後ろに流した赤髪に、金の前髪。十字傷の入った焼けた肌。柘榴のように輝く赤い瞳。貴族じみた白い服は彼の獰猛さを隠し切れずにいる。IV。かつて凌牙のデュエルの対戦相手だった男。凌牙をデュエルの表舞台から追放した男。そして凌牙の大切なものを奪ったのだと自称した男。

 凌牙はここ最近彼のことばかりを考えていた。デュエルで彼を負かしてやらなければならないというのに、デッキを弄くる際もカードのことより彼の姿が頭の中を支配する。起きているときも、寝ようとしているときも、彼は凌牙の頭の中に現れて、厭らしい笑みを浮かべているのだ。

 憎い。憎い。あいつが憎い。許さない。絶対に許さない。復讐してやる、復讐してやる、復讐してやる!

 心が負の感情で支配されるのと同時に彼の存在でどんどん凌牙の中はうめつくされていった。無意識のうちに凌牙はなにをしていても彼のことばかりを考え、考えれば考えるほど苦しいのに、その苦しみを解放できるのはIVの存在だけしかいないのだ。悪循環。負のループ。そんなものに陥ってしまった凌牙は自分ひとりの力ではすっかりその泥沼から抜け出せなくなってしまっていた。

 目を見開き、凌牙は現れたIVの姿に驚愕する。すぐに胸が苦しくなる。殴りかかってやろうと腕を持ち上げたかったはずなのに、力が入らず手は虚空を彷徨い雨に濡れるだけだ。ふらりと凌牙が前のめりに傾くと、IVはすっと前へと歩み寄り、倒れ行く凌牙を受け止めた。幻覚などではなかった。間違いなく人の体温をそれは持っていた。濡れそぼった凌牙の身体にそれは可笑しな程に暖かく居心地のいいものに感じられた。

「私が憎いでしょう」

 囁かれる言葉に凌牙はIVの腕の中で頷く。今まで苦しかった胸の痛みが、激しかった動悸が嘘のように落ち着いていくのが分かった。よりにもよってIVの腕の中で、彼の体温を感じながら。頭から滑り落ちるように背中を撫でられる。気持ちがいい。

「憎くて憎くて堪らないでしょう」

 もう一度凌牙は頷く。虚ろな瞳に映るのは凌牙を手中に収め、玩具で遊ぶ方法を考えるような顔をしたIVだ。それは間違いなくIVだった。絶対に忘れることのない、間違えることのない。凌牙の心、身体、その魂すべてを埋め尽くしてきた人物。

 凌牙は悟る。

 ――俺はこの男を欲しているのだと。魂の底から。

 だってほら、こうして今IVに触れているだけでこんなにも心が満たされていく。飢えていた身体に水が注がれたような気分になる。

 するりとIVが凌牙の服の間に手を滑り込ませても。顎を持ち上げて唇を奪っても。凌牙は抵抗しなかった。殺してやりたいほどに憎い男だというのに。不思議と凌牙は自分がおかしいとは感じられなかった。

「私が恋しいと思ったなら、いつでもここに来なさい。私はここであなたを待っていますから」

 くすくすと笑いながら凌牙の耳元にIVは吹き込む。

 そうして凌牙は次の日も、その次の日もIVの元へ来るのだった。自分がおかしいなんてことには気付かずに。IVの掌の上で思い通りに動いているなんて知らずに。

 

2011.10.22

プチオンリーで配布したペーパーから。時系列なんて私の管轄外です。IVさんのことしか目に入らない考えられないシャークさんに萌える!

Text by hitotonoya.2011
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