無限鏡の復讐者

 ピッ、ピッ、と弱弱しい、しかし一定のリズムを刻む電子音が聞こえた。続いて閉じられていた瞼を開くと以前見たことがある天井が目に入る。病院だ。ここがそうだとすれば、この電子音は心臓の鼓動のトレースに他ならない。

 こんなに弱弱しい鼓動が王者のそれだというのか。

 ベッドの上に横たわらせられ、点滴やら、心電図のコードやら、人工呼吸器やら、いろいろなものをまとわりつかせられたジャック・アトラスはぎりと力なく歯を鳴らした。はじめはぼんやりとしていた脳が覚醒するにつれ様々な情報をジャックは思い出していく。ゾーンに寝返ったシェリーの手にかかった遊星、クロウ、龍亞、龍可。敵討ちとばかりに十六夜とともにシェリーを待ち伏せしたこと。彼女の奇怪なデッキに散々振り回され、挙句負けてしまったこと。十六夜の苦悶の表情と声。最後に見えた――チーム5D'sの皆が絶対の信頼を寄せていた男の姿。許しがたい裏切り。あいつは、つい先日まで一緒に肩を並べて笑っていたあいつは! まるで罪悪感など微塵もないかのような様子で! 見事なまでに裏切ってみせたのだ。遊星を。クロウを。龍亞を。龍可を。十六夜を。そしてジャックを。

 憎悪に逸る鼓動にジャックが飛び起きそうになったとき、ふと、視界の端で銀髪が揺れるのが見えた。黒い衣服を纏い、金色の双眸を光らせる生気の欠けた生白い肌の男。

「……死神の出迎えか」
「冗談言えるようなら安心だ」

 鬼柳京介。かつてジャックが、遊星がクロウが所属したチームサティスファクションのリーダーだった男。今はネオドミノシティの郊外にある鉱山の街で町長を務めているはずの人物だった。

「どうして貴様がここに」

 ジャックは起き上がろうとして、身体中を激痛が奔った。あの許しがたい決闘で瀕死の重傷を負わされ、その上ハイウェイの落下に巻き込まれたのだ。死んでいないのがおかしいくらいで、ジャックは鬼柳の存在すら信じることができない。

「ダインの輸送で丁度こっちに来てたんだ。……そしたらお前がハイウェイの落下事故に巻き込まれたって騒ぎになっててよ。急いで駆けつけたってわけだ」
「オレは生きているのか」
「あいにくお前の魂を狩るほど死神も暇じゃねぇ」

 口は悪いが鬼柳の顔には安心したような笑みが浮かんでいる。何故笑えるのだろう、とジャックは心の底が冷えていく感覚を覚えた。脳裏を支配するのはあの男の姿。裏切りものの顔。共に闘った十六夜の姿を探すがここは個室のようで、鬼柳とジャックがいる以外壁に囲まれて何も見えない。……あの決闘で十六夜はジャックよりも重傷を負わされたのだ。もし落下事故に巻き込まれていたとしたら、無事では済むまい。ジャックが生きていたほうが奇跡なのだから。ぐずり、と右腕に奔る鈍痛。折れているのかと思えばそれはシグナーの証、竜の痣から発せられているものだった。赤き竜の加護はどうして働かなかった。身体が引き裂かれるような痛みをジャックは感じていた。もう翼だけしか、竜のかたちは残っていないのだ。それは悲しみよりも怒り、憎しみ。

 絶対に許さない仇をとってやる否復讐してやる殺してやるころしてやるころしてやるコロシテヤルコロシテヤル!

 ぐっとコードの束を握りすこし力を籠めるだけでブチブチと音を立ててて身体にまとわりついていたそれらは外すことが出来た。激痛に耐え身体を起こす。生きた己がやらなければならないこと。復讐。あの男を絶対に許さない。死を以って制裁を。

「待て」

 肩を押され、ジャックは痛みとともにベッドの上に戻された。鬼柳の仕業だった。ジャックは鬼柳を睨みつける。

「放せ。オレは行かねばならん。生きているうちに、否、死んだとしても奴を――」

 コロシテヤル。そう言いかけた唇は鬼柳の見つめる表情によって止められる。

 酷く哀れんだまなざしで、鬼柳はジャックを見ていたのだ。

 ジャックは思わず呼吸を飲み込んだ。

「……っ、なんだ、鬼柳。その顔は」

 何故なら鬼柳の表情はまるで。

「……そうか。俺はこんな顔をしながら死んだのか」

 鏡を見るような、自分自身を哀れむようなものだったからだ。

「復讐心に囚われるな」
「貴様に言われたくなどない!」

 肩を捩って手を振り払おうとする。しかし鬼柳の手に籠められた力はかなりのもので、全身に傷を負ったジャックが敵うものではなく。

「……地縛神に飲み込まれるぞ」

 その一言にジャックは瞳をきゅうと窄めた。

 鬼柳の金色の瞳を。その中に映る自分の顔を見る。かつてあれほど醜いと思えた決闘と復讐に囚われ狂った友と、まるで同じような表情をした自分の顔がそこにはあった。

 地縛神に見初められ狂った友は死後にその身体を地縛神に明け渡し世界を滅ぼさんとした。対極となるシグナーであるジャックはかつてそれらと闘い打ち倒しはしたが、今のジャックはそのときと状況が違った。

「お前の身体は、今も地縛神の生き残りに狙われているんだろう」

 ジャックのうちがわには最強の地縛神と畏れられたスカーレッド・ノヴァが封印されている。以前肉体を狙われた際に、その魂と心臓を以って封印を施した。ジャックの驚くべき精神力のなせる業であるのだと一連を見守ったボマーは言っていたが、もし、精神や魂が地縛神の喜ぶ感情に縛られてしまったら。

「囚われたらどうするつもりだ」
「何故それを」
「ボマーにメールでな」

 ボマーと鬼柳はかつて地縛神に囚われたもの同士である。解放されてからすぐにお互い旅に出たこともあり、繋がりがあっても不思議ではなかった。

「ならば、ならばオレが生きていたのは」

 憎悪の断末魔と共に瓦礫の海に飲まれたことをジャックは覚えている。転落死や圧死をしたほうが自然な状態でジャックがこうして生きているのは何のためだと考えればひとつ結論が見えてくる。ずぐり。右腕の痣が疼く。赤き竜がジャックの死を防いだのだ。地縛神を内側に飼う男を殺してはならないと。憎しみに囚われたまま死を迎えれば、最強の地縛神の傀儡として蘇るのは避けられぬと。

「……ッ、知っている。知っているのだ。復讐したところで何も変わらぬと。遊星も、クロウも。十六夜も龍亞も龍可も誰一人として戻ってこないことを。『あいつ』も戻ってこないことを!! だが……だがそれならオレは、どうすればいい! 何も出来ずここで死ぬのを待つしかないというのか! 鬼柳! ……鬼柳っ!」

 シーツを握り締め、溢れるものを抑えきれなくなったジャックは鬼柳の前で始めての涙を見せた。低いこらえるような嗚咽。それを見てやはりかつての己を目の前にしたような、無表情に近い憐憫を浮かべた鬼柳はそっとジャックに近づくと、包み込むように抱きしめた。

 

2011.10.01

TF6のシェリーさんシナリオの元キンの最後が鬼柳さんの最後に似ていたのでついむらむらしてやった。これむしろあのまま元キン死んでダグナーとして蘇るほうが自然な気がしたけどなに、気にすることはない。

Text by hitotonoya.2011
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