ライフライン

 恐ろしい。怖い。ジャック・アトラスを支配した感情は恐怖だった。人知を超越した存在を、彼は数奇なる運命により幾度も目にしてきたが、ここまでの恐怖を感じることは生まれて初めてだったかもしれない。初めて味わわされる感覚に恐怖は余計に増大する。身体は震えることすらできず硬直し、自由に動かすことなど当然出来ない。普段他人に見下ろされることの殆どない長身を誇るジャックが、まるで子どもを相手にしているかのように見下ろされる。Dホイールと合体した巨躯に、ホイール・オブ・フォーチュンごと身動きを封じられる。何度も何度もそれは近づいてくる。金色の瞳に至近距離で睨まれれば、喉からは引きつった声しか出せず、目を反らすことすらできない。怖い。怖い。怖い! まるで心臓をつかまれているかのようだった。彼がほんの少し力を籠めればジャック・アトラスの生命などあっと言う間に亡き者にされてしまうのだろう。怖い。逃げたい。体が動かない。逃げられない! またそれはジャックを追いかけてくる。何度も何度も繰り返し、ジャックの心の底の底まで恐怖の根を伸ばし張り巡らせてくる。

「――――ッッッ!!」

 恐怖に跳ね起き、ジャックは浅い呼吸を繰り返す。否、彼は瞼を開きはしたが、上体を起こすことは出来ていなかった。見開かれた瞳から普段の射抜くような眼光の鋭さは消え、憔悴しきっている。そんなジャックが現状を把握するには、もう少し時間を必要としそうだった。

 ゆっくりと首を動かす。辺りは闇だ。何も見えない。――だが、見られている。何かに。身体中にまとわりつく視線の感覚は、悪夢の中で何度もジャックを襲った金色の目がもたらすものとおなじだ。

 ひっ、と喉が絞られる音が出た。無意識のうちに自分の身体を抱きしめかけて、そこでジャックはようやく気付く。自分の腕に、腰に、脚に。四肢の動きを封じるように、ぼうと光る縄のようなものが巻きついていることに。当然それに遮られ、ジャックは腕を満足に動かすことはできなかった。ジャックはそれに見覚えがあった。目が覚める前の記憶を辿る。WRGP決勝戦。夢の舞台はいつしか世界の命運をかけた宿命の決闘場に変わっていた。そこでジャックが闘った、ルチアーノのスキエル、プラシドのワイゼル、そして悪夢の男――ホセのグランエルの機体から、ジャックのシンクロモンスターを捕らえようとして伸びてきた光の帯にそれはそっくりだった。悪夢で延々と繰り返された光景の後、ホセはグランエルの銃砲の標準をスカーレッド・ノヴァ・ドラゴンに定め、除外しかけたところを効果を封じられ、莫大なエネルギーを伴った砲撃がスカーレッド・ノヴァを、そしてジャックを飲み込み――。

 ぶつりとそこで記憶が途切れている。ようやく闇に慣れた目で自分の身体を確認する。悲惨という言葉が相応しい身なりをしていた。白いライダースーツはいくつも焦げをつくり、所々が破けて裂けている。無限大の文様の齎す不可思議な力により現実となった攻撃が、ジャックをぼろぼろにしていた。

 そうだ、オレは、負けた――。

 ジャックは唇をかみ締める。こんな状態で果たして自分はクロウにバトンを渡すことが出来たのだろうか? そもそも生きているのだろうか? もしかすると本当に、あの男に、心臓を握りつぶされてしまったのかもしれない。

 一切の情報を遮断された暗闇の中で、ジャックが感じることが出来るのは恐怖と、ホセという巨躯の老人の、しかし肉食獣のような獰猛な眼光、それだけだ。だがそれはあまりにも耐え難い。なんとかこの場所から逃れようと、ジャックは身体に絡みついた光の帯に振り払うように力を籠める。いくら引っ張ってもそれはびくともしない。それどころが逆に締め付けが強くなる。目で見ることは叶わなかったが、それは首にも巻きついていた。ぎゅっとすぼまり、気管が圧迫される。反射的にジャックが抵抗をやめると、光の帯は力を弱めた。かわりにジャックの身体じゅうに、しゅるしゅるとまきついて這い上がってくる。この感覚をジャックは味わった覚えがあった。あれは、確か、ジャックの姿を模したライディングロイドに負け、海辺の洞窟に監禁されたときに体感させられた幻覚。それとこの光の帯のもたらす感覚とは、酷く良く似ている。

「なっ……!」

 破れた布の隙間から、帯が侵入しジャックの肌の上を直に這い始める。それは何かのコードのように無機質な感触をしていて、同時に熱を持っていた。身を捩るが効果はない。ジャックの意志を無視し、帯はどんどん身体に絡みつき撫でまわしていく。あるものは指の間をしゅるしゅると行き来し、あるものは筋肉の割れ目に沿うように腹を駆け上がる。下から押し上げられてライダースーツが奇妙な形に歪んでいた。

「っは、あ……?!」

 神経を直接触れられているような激しい痺れにジャックは目を見開いた。ただそれは決して性急にではなく、じわじわと、ゆっくりと。焦らすように、時間をかけて、帯はジャックの身体を愛撫する。それでもびくんびくんと激しくジャックの身体は揺れる。逆らえないように首にしっかりとまきついた帯が、力を弱めているとはいえ脅迫するように喉を締め付けているのだ。呼吸をジャックから奪い取ることなど、やろうと思えばいつでも出来るのだと、言外で嘲笑われているのだ。帯の先端がしゅるりとジャックの肌の上を滑る度に脱力感が襲う。

「な……んだ、これ、は……」

 身体じゅうの力が吸われるように抜けていく。いよいよ本当に抵抗できなくなったジャックは小さく喘ぎを漏らしながら絡みつく帯の動きに合わせて揺れることしかできない。

「ぐあっ……あっ……」

 自由自在に長さと太さを変え、帯はジャックのあらゆる場所に絡みつく。ただでさえぼろぼろのライダースーツを更に裂き、姿勢を無理矢理に変えていく。先端が二股に割れたものが、つんと立った乳首に絡みつきぐにぐにと押しつぶす。細い帯がするすると布の間に入り込み、性器に絡みつきゆるゆると刺激を与えてくる。勃起を促しているのだ。この光の帯は何故だか知らないが、ジャックに快楽を与えようとしている。

「はっ、んんっ……んあっ」

 こんな得体の知れないものに全身に巻きつかれて、何が快楽だと思えたが、しかし、どうやら撫でられた部分から神経がおかしくなってしまっているらしい。びくびくと肩や指先がふるえる。身体じゅうにまるで微弱な電流が奔っているような感覚に陥る。しかもそれは酷く甘美な刺激だった。扱かれた性器は当然のように勃起し、ぬらぬらと先走りで濡れはじめている。

「ああ……あっ……」

 頬が火照り出す。縋るものがなにもない闇の中で、何かを掴みたげにジャックの手が宙を彷徨う。そんな指先にも細い帯が巻きついて愛撫を繰り返す。相変わらず首にも帯はまきついていたが、その他の部分の与える刺激は至極優しく、心地良い。まるで飴と鞭だとジャックは霞みかけた意識の中で思う。帯はジャックを陥落させるように、ゆっくり、ゆっくり、じわじわと快楽を与えている。すっかり脱力しきった身体は闇の中、光る無数の帯の動きにあわせて揺れるだけだ。

 嫌悪よりもやわやわと愛撫されることへの快楽が上回る。入り口で蠢いていたいくつもの細いそれが一本の太い塊へと変化し、ジャックの中へと侵入を果たしても、痛みに悲鳴をあげる力も出ず、ただうめきがうすく開いた唇から漏れるだけだ。突かれている。蹂躙されている。得体の知れないものに。それでも抵抗できない。服従させられている。――恐ろしい。

「っ!!」

 ふと思い出したその感情の名に、失いかけていた正気が引き戻される。帯は振り払えずとも、唇をかみ締め意識を保つことに努める。未だ感じる、あの視線と同じ感覚。それは一点からではなく、この闇の中全体から感じられる。まるで捕食者の腹の中にいるようだ――。その考えは、あるひとつの可能性をジャックに想起させる。ジャック自身の決闘中にこそ食らうことはなかったが、機皇帝の能力。遊星たちの決闘で目の当たりにした、シンクロモンスターを吸収する力。

「っ……ま、さか」

 くつくつと低く嗤う声が聞こえた。マスクに遮られ、くぐもった声。

『気分はどうだ、ジャック・アトラス』

 びくりと身体にふるえが奔る。心臓をつかまれる感覚が蘇る。

「ホ、セ」

『そろそろ出番だ……覚悟しておくがいい』

 からかうように言われた言葉の意味がジャックには分からなかった。

 ぐんと帯に籠められた力が強まる。身体が引っ張られる。闇の薄い方へ押しやられていく。そのときに聴いた風を切る音は酷く聞きなれた、耳になじんだものだった。ぐにゃりと前方が歪む。青い空が見える。気を失う直前まで見ていたものと同じ空。かすかに聞こえる、Dホイールの走行音。仲間の声。まさか。まさか。

『お前の魂、確かに我が機皇帝が頂いたぞ、ジャック・アトラス』

 どんな効果が使われたのかは分からない。どんな術を使われたのかもわからない。だが目の前に現れた、緊張に目を見開いたクロウのヘルメットのバイザーに反射してみえたのは、機皇帝グランエルから伸びた光の帯に囚われた、スカーレッド・ノヴァ・ドラゴンの姿だった。

 ホセの嗤う声がきこえる。屈辱と絶望、そして恐怖に、ジャックは顔を歪め、かみしめた唇からあかい血を垂らした。

2010.10.23

我が魂でバーニングソウルなら繋がっちゃっててもおかしくないよねという理屈から、賞味期限の限られすぎている妄想ネタ。ホセのつくる新世界についていきたいほど彼はジャック受けに優しい人ですよね!!

Text by hitotonoya.2010
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