ポイント・ゼロの夜

 

 倉庫街では困惑した様子を見せていた襲撃犯だったが、車に乗せられ、レオ・コーポレーション所有のビルに連れて来られれば幾分か調子を取り戻したようで、挑発的な態度と眼差しを取り戻していた。零児の指示で用意された部屋に、その身ひとつで通された襲撃犯、黒咲隼はクッと唇の端を持ち上げる。

「これも条件のうちか」

「ええ。社長からの指示です」

 デュエルディスクと己のデッキだけしか持つものがない隼は手持ち無沙汰に部屋を見回していた。簡素なテーブルとシングルベッド。入り口の脇にはトイレとバスルーム。広めのビジネスホテルの一室のようだ。だがその調度品全ての質は段違いである。高層階にあるゆえ舞網市の夜景は広い窓とテラスからよく見える。社員に貸し与えられる寮や、ゲスト用の客室ともまた趣の異なった部屋は零児個人が管理しているものだった。それを隼は知る由もない。

「ここで大人しくしていろというだけじゃあないだろうな?」

 猛禽を思わせる金色の瞳が窄まり睨まれる。その尖すぎる殺気は舞網の決闘者から感じるものとはかけ離れていて、そう、唯一感じたことがあるとするならばそれは赤馬零児その人からのもので、私は背筋が冷たくなるのを感じるが極力表に出さぬように努める。

「シャワーを浴びて寛いで待って頂きたいと。社長はお忙しいですので、用が済めば必ず、取引の条件についてこちらで隼様に説明して頂けるそうです」

「そうか」

 殺気とは相反して隼は素直にこちらの指示を承諾した。数々のデュエリストをその驚異的な力を以って襲撃してきたとはいえ、根は純朴な少年なのだろう。コートを乱暴に脱ぐとベッドの上に放り投げる。バスルームにタオルもバスローブも用意してあると事付ければ、何の疑問も抱いていないように赤いスカーフをコートの上に落として隼はバスルームへと入っていった。彼が衣服を脱いでいるのであろう衣擦れの音を扉越しに聞きながら、ハンガーにスカーフとコートをかける。ところどころがほつれた紺のコート。一体彼は今までどのような生活をしていたのか、どこから来てどこに隠れていたのかという疑問を抱かせるような。だが零児は調べがついているのであろう、そこまでの話を私は聞かされていない。

 指示された通りの準備を整え部屋から出ると、零児は既に廊下にいた。小箱を眺めていたようだが、私に気づくとすぐにそれをポケットにしまった。それが何なのか、レオ・コーポレーションに在籍の長い私は何なのか察しがついた。

「黒咲隼は」

「バスルームでシャワーを浴びている最中です。ご指示の通りに」

「そうか。今日はもう上がっていいぞ」

「はい」

 入れ替わるように零児は隼に与えた部屋の中へと入っていった。深く礼をしながら私は零児の背中を、なびく赤いマフラーが扉の向こうに消えていくのを、従順な執事のように見送った。

 

 

 

 シャワーを浴びた終えた隼は慣れないバスローブに身を包む。清潔でやわらかな肌触りの白いタオル地は、あまりにも見慣れないもので眩しすぎるほどだった。瞼を閉じれば、思い出すのは荒廃した戦場の景色ばかりだ。隼は首を振る。髪から滴った水滴が跳ねる。もう少しで目的を果たせるのだ。油断するわけにはいけない。大きな鏡に映る己の瞳を見つめる。必死の思いでおびき寄せた赤馬零児。彼はもう、隼の手の届く場所にいるのだ。

 にっと笑みを浮かべながら隼はバスルームのドアを開ける。

「随分とご機嫌のようだな?」

「なっ」

 赤馬零児は本当に、文字通り隼の手の届く場所にいた。シャワーを浴びている間に部屋に入ったのだろう。そういえば、この部屋の鍵を渡されてもいないことに隼はようやく気づく。更にここは零児の所有するビルである。彼が勝手に入ってきた、というより全ては所有者である彼の自由なのだ。

「赤馬零児……!」

 至って落ち着き払った様子で眼鏡のブリッジを持ち上げる零児に幾ばくの悔しささえ感じながらも、しかし隼は醜態を見せぬよう振る舞おうとする。

「……言われたとおりシャワーを浴びて待っていてやったぞ。次の条件は何だ」

 睨み上げても零児のレンズ越しの瞳は決して揺らがない。

「立ち話もなんだ。奥へ行こうじゃないか」

 零児の後をついて隼は足を進めた。バスルームに入る前に脱ぎ捨てたコートとスカーフは丁寧にハンガーにかけられていた。零児は我が物顔で一脚だけあった椅子に座ったので、隼は仕方なくベッドの上に座った。身体がちょうどいい具合に沈み込むスプリングの具合。横になったらさぞかし心地よいだろう。

 ホテルの部屋のように薄暗い明かりの中、窓の外の夜景がイヤに輝いて見えた。その手前には零児がいる。風呂上がりのバスローブの隼に対して普段通りのタートルネックに赤いマフラー。白のボトムス。隼が零児の服装を見ている間に、零児もまた隼を見ていた。腕も脚も組んで余裕を見せようとしていた隼の、ベッドの上で組んだ脚を見、零児の紫の瞳が細められる。

 それに殺気に似た、しかし決定的に違う何かを感じたのは隼の気のせいでは決して無い。

 ぞわわと背筋を駆け上った悪寒とも異なる何かに動けぬままの隼の元に、零児はゆっくりと立ち上がり背筋をしゃんと伸ばしたまま歩み寄る。狩る側のはずの隼は獲物を前にして怯えたように動くことができない。何故、何故、と頭の中で訴えても身体はちっとも動かず、かろうじて震えを見せるだけであった。すぅ、と零児が隼に視線をあわせるように屈む。喉が絞られたような声が短く漏れ、隼は湿り気の残る脚をベッドの上に引っ込めた。だがそれは零児にとっての好都合であったらしい。零児はニヤリと笑み、隼の左足首を掴み上げる。タオル地が落ち、太腿まで晒されれば隼は目を見開いた。それは羞恥よりも驚きと、そして恐怖。

 零児がポケットから取り出したのはアクセサリケースだった。手慣れた手つきでその中から、金で出来た細身のアンクレットを取り上げる。持ち上げた隼の足首に、カチャリ、と音を立てて嵌められる。間違いない、これは枷だ。すぐに隼は理解する。

「君にはこれから、これをつけて生活してもらう」

 足掻いても外れぬことは分かりきっていた。アンクレットのはめられた足首を零児は満足したように撫でる。再び悪寒のようなものが隼の背筋を奔り抜けた。

 そのまま零児は頬を寄せ、金環の上に口付けをする。隼の脚に添えられるその指の艶かしい白さよ、細められた紫の色よ、眼鏡の奥の銀の睫毛の長さよ。

 体重をかけられ軋むベッドの音、隼の上に落ちる影。

 目眩がしそうだった。

 

 

 

 赤馬零児社長は齢16にしてあまりにも恐ろしい方だ、と私は認識している。それは決して史上最年少でプロとなったデュエルの実力だけではない。一企業の社長として、親の威光など最早関係なく発揮されるカリスマ性とその非情なまでの手腕。やると決めたことは必ずやり遂げる。手に入れたいと思ったものは必ず手に入れる。そのために何もかもを利用することを厭わない。

 召喚反応監視の中で巨大なエネルギーのエクシーズ召喚をしてみせた存在。それが黒咲隼だと特定されれば零児の行動は早かった。未だジュニアユースのLDS塾生をも駒に使い、あっという間に隼の居場所をあぶり出し……そして手に入れてみせた。モニタ越しであったが隼を見初めたときの零児の表情は、傍で見ていた側にとっても忘れられない。普段の冷静なものとも、榊遊矢を思う際の優しいものとも違う。感情をむき出しにしたような……獲物を狙う眼差し。

 隼の方が零児に会いたがっていたと零児は言ったが、零児の方がそれはきっと……。

 黒咲隼は零児から逃げることを許されないだろう。零児を狙ったことを隼は後悔するだろう。否、それさえも許されないかもしれない。隼のために零児が用意した小さな部屋。まるで鳥籠のようなそこで今何が行われているのか、できるだけ想像しないようにして私は廊下を真っ直ぐに歩いた。

 

2014.10.06

黒咲さんにつけるなら首輪よりアンクレットのほうがいいなと思いました。零児さんがBL小説の攻め様みたいになってしまってつらい

Text by hitotonoya.2014
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